『苦海浄土』


この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松の…(中略)…決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。
ー『新装版 苦海浄土 わが水俣病』石牟礼道子


冒頭、九平少年の姿に胸が締め付けられ涙が止まらない。水俣の海の自然の風景のあまりの美しさとそこにある人びとの暮らしの詩的とも言える描写の繊細さに、作者の彼らへのまなざしを思う。
手足の末端の痺れ、歩行障害、四肢の不随意運動。私と同じ症状だと知り(水俣病は他にも視力、聴力、言語障害等の症状があり、胎児性水俣病も存在する)、そうだ水俣病は公害病であると同時に神経疾患なのだと再確認する。私はもう生まれついていつかこうなるしかない運命だったのだから仕方なしと無念の果ての果てに辛うじて自分の病に向き合えもするが、水俣の病の彼らの壮絶で理不尽極まる公害被害としての罹患や死というものは想像を絶する悔しさだろうと目の眩む思いがする。しかも彼らは経済発展や政治的保身や利己主義の重石の下に世間の同情や支援からも遥か遠く疎外され差別されて、被害者であるのに、いや被害者であるが故に、孤立していく。これを理不尽と言わず何と言うのか、と怒りが止まない。生きるとは、死ぬとは、正義とは何だろうと考える。

私一人の命を賽銭箱に投げ込んで神様になんとかこの体を鎮魂の火の薪に替えてもらえないかと思わずそんな叶わぬ想像もしてしまったが、そんな怠惰で安易な魂胆は神様に見透かされるどころか水俣の病の人びとの誰一人にも相手にされないはずで、やはり私は自身の無能と無力への羞恥に耐えながら悶々と鬱々と頭を抱え汗と涙と鼻水を垂らし、真実から目を逸らさず自分の中に消えない怠惰と欺瞞と無力感とを監視しながら、最後の瞬間までどこまでもしぶとく、しぶとく考え続けるしかないのだ。



書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/