迷子


私は同窓会というものに一度も行ったことがない。幸運なことに、誘われたこともない。そもそも、なぜそんなものを開きたがるのかが理解できない。卒業アルバムだってそうだ。私は一度もあれを開いたことがない。せっかく卒業したというのに、後悔と羞恥の粘土でガッチガチに塗り固められたその日々を思い出すための時間を、なぜわざわざ改めて作ろうなどと発想できるのだろう?皆、記憶を無くしてしまったのか?それとも私の記憶が、おかしいのだろうか?


例えば私が高校生のとき。新学期が始まったばかりの日だった。学校帰りに数人の友だちと寄り道した駅前の百貨店。私は友人たちの取り留めもない会話を半分くらい聞きながら、フラフラと友人たちの後ろを歩いていた。文房具や雑貨や洋服の販売フロアを、エスカレーターを乗り継ぎながら、放課後の女子高生たちは楽しそうだった。

私は体が震えるほどに、つまらなかった。左右交互に前に出される自分の靴先を眺めながら、私は友人たちのスカートの影をついて歩いた。叫び出したいような青春の苛つきも無暗と躍動して抑えきれない若いだけの魂も、そのすべてを垢ぬけない女子高生の張りぼてにギュウギュウと詰め込んで、歩きながら私はきっと、黒くて小さい穴のような目をしていた。一体自分は何故こんなことをしているんだろう?また始まってしまう新学期の、教室の昼休みの空白を独りぼっちにならないためだろうか?私は喋らなかった。つまらなかった。私はどんどん一人になりたくなって、そのこと以外何も考えられなくなっていった。早く自分の部屋で『ガロ』を読みながら、大好きなパンク・バンドのカセットテープを聴きたかった。

私は友人たちとの距離を少しずつ空けていった。気づかれないように、自然に、当たり前に。そう、いつのまにかスカートの影からはぐれて、私は自分が迷子になればいいと思った。買い物客の混雑の波に弄ばれて何処かへコロコロとさらわれていく、汚れた小さな二枚貝のように。私は不可抗力を装って、徐々に距離をとっていった。友人らは私の存在など全く気にしてはいないはずだ。何を迷うことがある?一人になりたいのなら、一人になればいい。

作戦は成功した。無事に私は迷子になり、一人になった。解放された!私は友人らに出くわさないよう慎重に動線を選んで、百貨店を出た。夕曇りの空の下を、私はウォークマンのイヤホンを耳に入れながら通勤客で混み始めた駅へと小走りで向かった。

翌日、友人たちが私に言った。「どこへ行っちゃったの?」と。私は驚いた。気付いたんだ。私がいなくなったことを。もしかしたら、最初から私はいなかったって思うかも、って、ちょっと期待していたのに。私と話さなかったじゃない、誰も。一番後ろにいる私を振り返らなかったじゃない。いたっていなくたってどうでもいいクラスメイトを、どうして気にするんだろう?私は心の底から、意味が分からなかった。面倒くさかった。

「私、帰るね」って言えばよかったのか?いや、そうじゃない。私は試したかったのだ。誰も自分のことなど気にしていないということを。私は確かめたかったのだ。誰の目にも自分が見えていないということを。ほらやっぱりね。私は一人だし、皆と一緒でなくても心配ない。私はちゃんと、一人だから。一緒だとかわかり合ってるとか繋がっているとか、何それ、笑っちゃうよ。ああ一人になりたい。卒業したい。


今も私は、何も変わっていない。こうして今日も、世界との距離を少しずつ空けようとしている。私がいると面倒だと思う人。私を利用しようとする人。気が向いた時だけ近づいてきて、自分の善意や感傷の対象にしようとする人。いや、そうじゃない世界にも私は気付いているはずだ。世界は広く、人間は面白いし素晴らしい。そんなことは知っている。でも私はあの時と同じように、心底うんざりして、つまらないと思いかけている。

エスカレーターの段を一つずつ空けていって、気付かれないように、そして当たり前のように、私は迷子になって、逃げ出そうとしている。つまらない時間から。世界から。



書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/