境を越えた瞬間
「境を越えた瞬間」について考える。<境>とは何か。<境>は何を遮り隔てているのか。<境>のこちら側にいるのは私だけなのか。
2018年秋、私はALSとの診断を受けた。振り返れば発症した当初、「思うように歩けない」という不安や焦燥を感じ始めた頃から今まで、私は、透明な”ガラスの壁”のような、<境>のこちら側に独りぼっちでいる感覚を抱き続けている。そのガラスを隔てて向こう側には明るく忙しく賑やかで、私がいなくても問題なく成立している世界が広がっていて、こちら側にはいつもポツンと一人、私だけがいる。この”ガラスの壁” は、私が病気になってから出現し始めたことは確かなのだが、一体それがどんな”原料”で出来ているのかはわからない。進行する病状に自分を持て余している私には、もっと前向きにとか積極的にとか、あなたの気のせいだろうとか考え過ぎだよというような声だけが、ガラス越しにいつもかすかに聞こえてきて、私はいつもモヤモヤしたまま、ガラスの向こうを、<境>の向こうを、虚ろに眺め続けてきた。
そんな私にも、この”ガラスの壁”を、<境>を越えて、向こう側にいるはずの人と大事な気持ちのやり取りが確かに出来たと感じられる瞬間がある。
私はブログを書いている。今を生きている証にという個人的動機、衝動からヘタクソな文章を日々せっせと綴っているのだが、思いを正直に書こうとすればするほど、私は自分が益々独りぼっちになっていく気がして、投稿し終えるたびにグッタリと疲れ果ててしまう。それでも、考えたことを自分の言葉で書くというのはとても愉快な行為で、時折有難いことに、ブログを読んだという人からメールをいただくことがある。私の言葉を丁寧に受け止めてくださったその人の誠実なメールの文面に触れて、私は目の前の<境>が、いつの間にかスッと消えていくのを感じる。ALSをきっかけに書き始め、ALSを生きながら、しゃがみ込み、頭を掻きむしり、やっと吐き出した言葉が紐帯となって、私は確かに、<境>の向こう側にいたはずの人と、<境>を越えていつの間にか手を握り合っている。
立場を越え、ひとりの人として、本当のことを、飾らず偽らず自分の言葉で伝えようとする瞬間。とてもシンプルだが勇気の要るこのたった一つのことが、今の私の目の前にある<境>を消し飛ばしてくれる。
明日も明後日もまた、書いていこうと思う。
【特定非営利活動法人・境を越えて】 https://sakaiwokoete.jp/
メールマガジン『境を越えて通信 vol.24』2021年7月 寄稿
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