告白
わたしは小さいころ、絵を描くのが好きだった。
それはもう我ながら異常ともいえるほどで、包装紙やカレンダーの真っ白い裏紙などはもちろん(めったに手にできない宝物だ)、チラシや新聞紙の余白など、ところ構わず絵を描いて遊んでいた。
あれは、わたしが3歳だったろうか。
ある日のこと。珍しく入手したとっておきの画用紙に、わたしは絵を描いてひとり遊んでいた。畳敷きの居間のちゃぶ台に向かい、背筋を伸ばしてクレヨンの箱を開けた。黒と白。それに「はだ色」。今日は三色でいい。
わたしは画用紙いっぱいに、ある人物の顔を描いた。黒黒黒。白白白。フンフンフン。上首尾だ。
すると母が居間に入ってきた。
母はわたしの姿を認め、それから、ちゃぶ台の上の画用紙に視線を移すと、今にも泣き出さんばかりの感極まった声でこう言ったのだった。
「ああ、ひろみ。おばあちゃんの絵を描いてくれたんだね」
え????
ちがう、ちがう。わたしが描いたのは「デストロン戦闘員」の顔だ。
いつも観ている大好きなテレビ番組「仮面ライダーV3」に登場する、悪の秘密結社デストロンの戦闘員の顔だ。
「おばあちゃんもきっと喜ぶよ。ああ。ありがとう、ひろみ」
おばあちゃんはつい前の日に、お星さまになっていた。
わたしはそれを知っていたから、このとき母に言えなかった。この黒くて細面の顔は、おばあちゃんを描いたものではありません。デストロン戦闘員なのです、と。
「これは、おばあちゃんのお棺に入れてあげましょう。ね?」
「…うん」
ああああ。どうしよう。もうダメだ。わたしは本当のことを告白する機会を失ってしまった。おばあちゃんは、孫のウソと共に、天国へ行くのだ。ごめんなさい。ごめんなさい、おばあちゃん。
いや、まて。これでいいのかもしれない。母は喜んでいる。孫が描いた、おばあちゃんの絵。何も言うまい。これでいい。このままでいい。
「ママ。わたし、おばあちゃんと、もっとお話ししたかったな」
わたしはこのとき、なぜこんなことを言ったのだろう?
おそらく、本当におばあちゃんと話したかったのが半分。残り半分は、母に褒められたかったから。場の空気を読み、大人に忖度したのだ。こうなれば “よき孫” としての役割を徹底して務めようと、3歳なりに考えたのかもしれない。
「そう。天国のおばちゃんと、ひろみはお話ししたいんだねえ。わかったよ。だったら、あんたの『モシモシテレフォン』も、おばあちゃんにあげよう」
受話器を上げ、ダイヤルを回すと「リンリンリン」と高い音のする電話のおもちゃ。わたしの一番の、お気に入りのおもちゃ。いやだ。あげたくない。わたしが買ってもらったものだ。
「うん、そうだね。おばあちゃんにあげる」
わたしはこの日、二つ目のウソをついた。
***
その後、わたしの描いた「デストロン戦闘員」の絵と「モシモシテレフォン」は、本当におばあちゃんと一緒に、天国へと行ってしまった。
「モシモシテレフォン」が棺に納められたとき、母は周りの大人たちに言った。
「ひろみが、天国のおばあちゃんとおしゃべりしたい、って言うのよ」
すすり泣く声、声、声。
ああああ。ごめんなさい。おばあちゃん。わたしはウソつきです。ダメな孫です。本当のことを言えない、臆病者です。
しかし一方で、このときわたしの胸にあったのは悲しみや罪悪感だけではなかった。自分の絵やおもちゃが思いがけず大人たちの役に立ったことへの、結果的にうまくいったことへの、安堵があった。大人たちの納得のいくようにことが進んだことに、わたしのウソが気づかれず責められなかったことに、わたしは胸をなでおろしていた。
***
おばあちゃんはもう、デストロン戦闘員の絵は捨てちゃったかな。
ごめんなさい。
もうすぐ会えたら、そのときはちゃんと本当のことを話すね。
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