センセー、質問です。

テレビをつけたら、「若者の選挙離れをどうするか」という問題に対して、“天才”と評判のイェール大学助教授・成田悠輔氏がこんな話をしていた。
「若者は余命が長いのだから、余命の短い高齢者よりも一人あたりの投票権を多くする。たとえば高齢者は一人一票、若者は三票というように。タブーを恐れずそんな議論も必要」。

センセー、質問です。
余命幾許もない難病患者の投票権は、いったい何人前に見積もられるのですか?
この国は、一定の年齢に達した者全員が平等に選挙権を有する普通選挙制を捨てるということですか?
余命の短い人、難病患者や重度障害者、高齢者らの声はますます届きづらいものになり、彼らはさらに弱い立場に追い込まれてゆくのではと想像するのですが、センセイは「そんなヤツらはどうせ長く生きないのだから、社会全体のことを考えればそれでよい」というお考えなのですか?
センセイの仰ることは、人を「生きる価値のある人」と「生きる価値の無い人」に振り分け差別しようとする考え方に繋がると思うのですが、いかがですか?

テレビ画面の中で展開された成田氏の意見は、もしかしたらその後、何か別の展開をしたかもしれない。しかし私は、知らない。悔しさと怒りで胸が苦しくなり、番組の途中でテレビのある部屋を出てしまったからだ。「タブーを恐れない」。いかにも勇ましく、旧弊を打ち破るといった魅惑的な響き。番組があの提言を取り上げたのは、一定程度の視聴者の納得や肯定的反応を予測したからであろう。さすれば、あれが世の多数の意見ということなのだろうか。私は、こんな社会で生きているのか。

立ち止まろう。立ち止まって、考えよう。


書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/