スーパーマーケット

病気になり、足が徐々に動かなくなって6年以上が経つ。杖をついて、それから車椅子になって、私はスーパーマーケットに足を運ぶ機会がめっきり減ってしまった。
車椅子で店内の狭い通路を塞いでいるように思えていつも気が気ではなかったし、カゴを持つことや棚の高い所にある商品を手に取ることは早々に諦めてしまった。行列するレジのそばで人混みに身動きが取れなくなって、急かすような周囲の視線にいたたまれなくなったことも一度や二度じゃない。
そしてあるとき、私はとうとう頭の中の地図からこの場所を塗り潰してしまった。ここでは何も上手くいかない。萎縮して悲しくなるだけだ。私が行くべき場所じゃない。

そんな私が久し振りに、本当に久し振りに家族とスーパーマーケットへ行った。新規オープンの広く清潔な店内を見回しながら、明るく照らされる商品パッケージの文字を追う。
大豆ミート グルテンフリー プロテイン ヴィーガン 自分で大きさを選んで買うレジ袋 カートに付いているどう使うのかわからないタブレット フードドライブのPRコーナー 車椅子の私はたぶん一生使うことのないセルフレジ 
見慣れない商品。私の知らないルールを熟知している客たち。たった数年、私が足を向けないでいる間に変わった“日常”。慣れた手つきでセルフレジを使い支払いを済ませる夫の姿を遠くに眺めて、ひとり自分だけが異空間からここへ足を踏み入れてしまったような気分になる。私だけが、ここにいる皆んなと違う時間を、当たり前を生きている。

艶やかなシャインマスカット さまざまな産地の高級牛肉 ワゴンいっぱいの菓子パン 山積みにされた弁当
目眩のするような豊かさに圧倒されながら、私はなんだかひどく居心地が悪くなる。戦争や不景気や上がらない賃金や止まらない円安や世界的な気候変動や食糧危機や不安しかないこの国の未来が頭を掠める。脆く鮮やかに肥大した日常。今目にしているこの光景はよく出来た幻で、ゴーグルを外せば消えて無くなってしまうのではないか。何かの前提がほんの少し崩れてしまえば、この店の棚は瞬く間に空っぽになるのだろう。
どうかこの豊かさが、当たり前であり続けますように。私は深呼吸をして、お彼岸の花の売り場に向かった。
帰ったらキウイを食べよう。

書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/