「呟き」に呟く
自分は「殺される側」ではなく「殺す側」の人間である、と信じて疑わない人の発言。
こうした言説に触れるたび、私は胸が抉られるように苦しくなる。
大きな影響力を持つインフルエンサーのこうした呟きに、たくさんの尊い命を奪った相模原障害者施設殺傷事件・植松聖死刑囚の優生思想的主張と、それを支持する声の少なくなかったことを思い出して暗然とする。
「私だったらそんなふうになってまで生きたくない」「死なせてあげた方が本人も周りも幸せ」。一片のまともな想像力も持たないそんな呟きが、当事者らを深く傷付け、彼らに死を選択させる圧力になってしまう。驚くほど強くしなやかに与えられた人生を全力で生き抜いている当事者たちの毎日に、謙虚に、真摯に思いを馳せて欲しいと願う。
「社会の持続」「未来」を真剣に考えるのならば、誰かを排除し死なせるための言い合いではなく、誰もが希望を持ち生きていける社会を創るための対話をしよう。
どんな人も、毎日を必死で生きている。みんなで、生きよう。
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