五月の島

昭和十九年夏。じいちゃんが輸送船で運ばれて行った島は、沖縄本島からも、東京都区内からも、さほど変わらぬ距離にあることを今日知った。

私の車椅子の足元には、グアム、テニアン、サイパンまでの距離も刻まれている。
見捨てられた土地。切り捨てられた人びと。遠い空の下にあって、呼応し合う島々。

平和祈念資料館を見学する。
美しい横顔を故郷の空に見せて、彼女は撃ち殺されて米兵の足元に横たわる。
全裸のまま、泥まみれの幼子は地獄を見てしまった人の顔をして立っていた。
どんな“大義”が、どんな言い訳が、彼らに起きた事を正当化出来るというのだろう。
物のようにそこに在る穴だらけのご遺体の写真は、東京にこそ掲げられるべきだ。

ある夕方の図書館の帰り道。国会議事堂の前で、一人叫んでいた年配女性がいた。
沖縄の人だと直感した私の、その訳を確かめながら自らに問う。
私は叫んだことがあるだろうか?

何度でも繰り返し言おう。
戦争は、絶対にしてはいけない。

スマホの写真を確認する。五月にしては強過ぎる午後の日差しに思わず目を細める。画面を見て、泣いた。
明日も明後日も、生きて行こう。


(糸満市・平和祈念公園より。東の海を臨む)

書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/