賢くも強くもない私たちへ
悲しいかな、まったくもってその通りとしか言いようのない記事を、フランスの記者によって書かれてしまった。
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温泉のお湯を6カ月間入れ替えなかったことと、50年間何百人もの子どもたちを触ったり、口腔性交したり、肛門性交を強要すること、どちらが重大な罪だろうか。日本のメディアにとって答えは明白のようだ。
日本のテレビ局の幹部らは、今すぐ自分の名刺にこう刷るべきだろう「弱きを挫き、強きを助ける」。
テレビ局に対して長きにわたって娯楽を提供してきたジャニー喜多川という男が、世界最悪級の連続児童性加害者の1人であったということに対して、日本のジャーナリズムはことごとく「無力」だった。人的、財務的、物質的資源が豊富にあるにもかかわらず。
(記事より一部抜粋)
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この凶悪犯罪に対する日本の芸能界やテレビ局、そしてジャーナリズムによる無視の決め込みっぷりは酷いものだった。テレビ局は、長年続いてきた少年たちへの卑劣極まりない性虐待を黙認することで犯罪に加担し、少年たちの肉体も尊厳も平然と権力者に捧げることで、利益と繁栄を享受してきた。そしてその闇を塗り潰すかのように、愚にもつかない“ニュース”や幼稚で批判性の欠片もない話題を、まるで現代社会の最重要問題か何かのようにしつこく垂れ流し続けてきた。そうして提供され続けるコンテンツを、指をくわえて受け入れ、許し、それらに馴らされてしまったわれわれ自身の劣化と、この問題における当事者性を考える。
みっともないことに、“ガイアツ”によってついにテレビ各局は自らも加担する凶悪犯罪を隠し通せなくなった。すべての報道番組を観た訳ではないが、申し合わせたようにこの問題に触れざるを得なくなったテレビ各局の扱いは極めて及び腰で、芸能界における絶対的な権力を利用し半世紀以上の間少年たちを凌辱し続けた性虐待への怒りも、それを黙認し続けた自らの卑劣さへの羞恥も反省も後悔も申し訳なさも、一視聴者である私には微塵も感じられなかった。
史上最悪級の児童性犯罪と海外メディアで報道されるこの事件の、日本国内における沈黙も扱われ方も、異常だ。仮に私が権力者による犯罪の被害当事者になってしまったとしよう。勇気を振り絞り人生を賭して被害を訴え出た自分の“声“の一切が、日本中のあらゆるメディアによって冷酷非道にも無視され続けたとしたら。被害が救済されるどころか、匿名の第三者らによるいわれのない誹謗中傷や嫌がらせによって日々眠れないほどの恐怖と痛みのどん底に叩きつけられたとしたら。この社会の、人間の、私はいったい何を信じて生きてゆけばよいのだろう。既視感のある構図に、思わず遠い目になる。問題のすり替えも矮小化も印象操作も社会による集団リンチも忖度という名の言論統制も、今やこの国においては珍しいことではない。権力に都合の悪い批判や疑問が提示されれば指をさして反日だのフェイクニュースだのと大声をあげ、どこかの独裁国家を持ち出してわれわれはアレよりマシじゃないかと叫べばいいのだから。
後ろ盾のない悪者叩きにわれわれが没頭し、自らの善性に満足しながら正義の焚き火を楽しんでいる間に、権力の陰に隠された深刻な人権侵害は繰り返される。われわれはそれほど賢くも強くもない。分断を煽る言説に惑わされることなく、理性と誠実さをもって歴史に学びながら、冷静に事実を捉え検証すること。そして何より求められるのは、われわれが自身の当事者性から逃げないことだ。社会を構成する一人として自らの”責任”から目を逸らさないこと。そうすること無しに、この社会の、われわれ自身の劣化を止めることはできない。
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