京都ALS患者嘱託殺人事件:裁判をめぐって②
NPO法人境を越えて・理事長 日本ALS協会・相談役 岡部宏生氏
2024年1月11日 記者会見より
私は裁判員の方とこの社会で生きている皆様に申し上げたいです。
私は林優里さんと同じ病のALS患者当事者です。
よくあんな姿なら死なせてあげた方が良いとか、こんな姿なら死んだほうがマシだとか言われている本人です。
でも私は今日東京から参りました。
この記者会見が終わったら東京に帰ります。
フットワークよいでしょ?
私は以下のように今回の事件について思っています。
山本直樹被告の判決の中に林さんが強く死にたいと言ってたことが取り沙汰されていました。
実は私は林さんと全くといってよいほど環境が似ています。
社会保障の制度を活用して24時間ヘルパーさんの介護を受けて独居で暮らしています。
私はヘルパーさんの介護を受けながらではありますが、とても充実した暮らしをしています。
先程申しましたが、京都に日帰りです。
そんな私ですが、幸せな時ばかりではありません。
身体が自由に動かないことによる辛さもありますし、人間関係に悩むこともあります。
去年の8月には体調を大きく崩して周りの介護者に死なせてほしいと言いました。
体調のことだけでなくて、身体が動かない辛さや人間関係によって死にたいなと思うことはしばしばなのです。
でも周りの人の支えによりまた頑張って生きようと思うのです。
極端に言えば生きたいと死にたいを日々繰り返して揺れながら生きているのです。
ですから、林さんの気持ちは痛いほどわかります。
毎日揺れながら生きているのです。
私はそういう死にたいと思っている時に、死なせてあげようという人がいたら、間違いなく死に傾いてしまいます。
林さんも死にたがっていたことばかりクローズアップされていますが、SNSの発信を読んでみると明るい一面も持っていましたし、他の患者の役に立ちたいという記述や、現に役に立てて喜んでいる記述もありました。
林さんの死にたいという気持ちを大久保愉一被告や山本被告が後押ししてしまったのです。
林さんは人の関わり方によっては生きるほうを選択したかもしれないのです。
それを医療の知識を用いて殺してしまうなんて私には信じられません。
もうひとつ申し上げます。
大久保被告は安楽死の必要性について詳しく主張していましたが、本当に安楽死が必要なのでしょうか?
2つ申し上げたいです。
ひとつは大久保被告らの行為は世界中の安楽死を認めているどんな国の安楽死の方法にも当てはまりません。
大久保被告らの行った行為は殺人に他なりません。
もうひとつは安楽死の議論をする前に私たちは考えなければならないことに思いを馳せていただきたいのです。
死にたいと思っている人の死にたいという原因を取り除く、もしくは小さくできないかということなのです。
私のような重度の障がい者であっても健常な方でも死にたくなるような困難を抱えることはあります。
そんな時に死にたいを支えるのでなくてなんとか生きたいを支え続けられる社会を目指したいと私は強く願う次第です。
繰り返しますが、どうぞ裁判員の方と、この社会で生きている皆様に申し上げたいのです。
安楽死ができない日本は遅れているという人々もいます。
そうではなくて、私のような最重度の障害者がこうして生きていけるのは日本くらいだと思います。
日本は最先端の国だと思うのです。
人の命を大事にしてくれる国だと思います。
だからこそ、大久保被告たちの行なった殺人を許してはいけないと思うのです。
経済合理性も決して否定できるものだと思ってはおりません。
でも命について、考えていただきたいのです。
これは障害者に限ったことではありません。
誰しも困難を抱える可能性があります。
誰もがこの当事者であることを、考えてほしいと強く思います。
ありがとうございました。
岡部宏生
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