コエノヤマイ

少し前、とある場所での話。
車椅子の私の目の前で、小学生くらいの女の子が一人、立ち止まってこちらを見ました。私は女の子に声を掛けました。
「何してるの?」
すると女の子は言いました。
「声、出ないの?」

私は発声することができます。おそらく医学的にいえば、ほぼ問題なく発話によるコミュニケーションが取れます。
けれどもこの日、女の子は私のことを声の出せない人だと思ったようでした。

「ううん。出るよ」
私が小さな声でそう答えると、ふうん、とつまらなさそうに、女の子はどこかへ走って行きました。
私は電気に撃たれたようにドギマギしていました。わかりやすいほどの狼狽を隠さねばと慌てた私は、女の子の後ろ姿に向け、表情筋を総動員して笑顔を工作しました。

私は、自分がある種の病の中に、確かにあると自覚しました。
声を出すことに苦労したのは、この日だけではありません。特にこの1、2ヶ月ほど、私は自分の声がだんだんと小さくかすれてゆくのを感じていました。

まったく望まれない自分の存在と、聞かれない言葉と。ときにトンチンカンに、ときに“お客様”として気遣われながら、気の利かない私の声は賑やかしにも場繋ぎにもならないままに、あってもなくてもよかったものとして、運悪く立ち会ってしまった人たちの鼓膜をわずかに揺らし続けていました。

無くてもよいもの、退屈で意味をなさないものを、わざわざ生み出し望まぬ他者へと押し付ける工程のどの瞬間を切り取っても、合理性も喜びもありません。
私は半透明に濁った声の塊をできるだけ小さくすることで、自らの罪を軽微なものに見せようと企んだのでした。

私がこの私として存在する限り、この非生産的で誰にとっても無意味以下でしかない作業は繰り返されるでしょう。私が私として意見を求められている訳ではなく、誰もが大人の振る舞いとして「何かの巡り合わせで偶然にもそこにいてしまった」私への最低限の配慮をやめることはないからです。

「遠慮しないで言いたい事を言ったらどうか」という指摘はいつも、9割以上正確ではありません。
そもそも、その瞬間に「言いたい」ことなど自分にあるのかどうか。感じ、考えることと伝えることは同義ではありませんし、その時点で覚えた感動や疑問や違和感を後ほどゆっくり吟味したいと考えることも、私の場合しばしばです。そして、可能であればこうして駄文にしたためたい。
「遠慮しないで」と助言をくれる人は、言わないことの理由を「遠慮」以外に求めることをしない人でもあるのだなと思います。いかにも私が「遠慮」しそうな人であると捉えられがちなこともおそらく事実なのですが、多くの人たちにとって口にする言葉の多くが、果たして「言いたいこと」で構成されているのかどうかも、遠慮が無いから口にできているのかも、私には疑問です。

こんな風に、まさに無意味で退屈でトンチンカンなことを言い散らかす私の声が善意の他者様に向け背負う罪に対し、私ができることはと言えば一つしかありません。可能な限り、口を開かないこと。華麗な話術や繊細な気配りや大人の優しさや、私からは一滴も絞り出てこないそれらキラキラとひし形に輝くよきものたちだけが、イマココに、誰かの呼気と共にこの世界にあれば十分ではないかと、私は思っています。

既往歴はかれこれ35年ほどでしょうか。完治も寛解もない、私の病の現在はこんなところです。

書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/