儀式


私のような車椅子ユーザーにとって、エレベーターは必須だ。

駅でもデパートでもホテルでも病院でもショッピングモールでも、エレベーターがなくては、私は目的の階に行くことが出来ない。


最近はエレベーターのすぐ横に「車椅子優先」や「車椅子専用」と目立つように表示がされていたり、中には扉そのものが青やピンクなどに色分けされたりして、「車椅子の人がエレベーターを使うので配慮をよろしく」というサインが一目でわかりやすく施されているものも増えた。


それでも残念ながら、立っている人で満員の「車椅子優先」エレベーターを何台も何台も見送らなければならないといったことや、やっと来た「車椅子専用」エレベーターに乗ったら立って乗っている人で既に混んでいて、車椅子の私に気付くや否や揃って気まずそうに壁の方を向いた、なんてことは日常茶飯事だ。そんなことがあるたびに私は、ああいやだいやだ、こんな国には住んでいたくない、もう生きていたくない、と、大袈裟でなく思う(「ならとっとと日本から出ていけ」とか「じゃあ死んでしまえ」とか言われてしまいそうだが、仮に言われたところで私は誰の指図も受けるつもりはない)。


「優先」とか「専用」ってそんなに難しい言葉じゃないと思うのだけれど、結局、こんな風に書いてある言葉なんて誰も真剣に読んでなどいないのだ。いや、目の端くらいには入っていても、自分の利益とバッティングするタイプの“善意”は余程でないと発動されないのだろうし、標識だらけのこの国では自分に無関係どころか自分にとって都合の悪い言葉はいちいち取り合わず黙殺するに限る、ということなのだろう。よく考えてみたら怖い社会だ。まさに車椅子女にとってはCOOL 過ぎるJAPAN。


そんなエレベーターで、もう毎日毎日毎日繰り返される「儀式」がある。

エレベーターホールにいる私の前の扉が開いて、そこそこ人の乗った「車椅子優先」エレベーターが到着する。エレベーターからは誰も降りる気配はないし、スペース的に車椅子が乗り込めないことは一目瞭然。また乗れないのかとウンザリしながら仕方なく次を待とうとしていると、エレベーターの中にいる人が「開く」のボタンに手を掛けながら「どうぞ、どうぞ」「乗って、乗って」などと手招きをしてくる。


いやいや、そんな程度の狭いスペースじゃ車椅子が乗れないの、一目でわかるでしょ?ていうか、そもそも「優先」なんだからさ、誰かが降りて、車椅子のためのスペース空けてよ。あなたたちにはエスカレーターとか階段っていう選択肢もあるじゃん。でも私にはこれしか手段はないし、もう既に何台も見送って、私は「車椅子優先」エレベーターが来るのを、ずっとずっとずっと待ってるんだよ。本当に、本当の親切がしたいって思ってくれるならさ、「優先」っていうの、ちゃんと守ってよ。ねえ、いつまで待ったら私はエレベーターに乗れるの?


こうなったら早く先に行ってもらって、次のエレベーターに乗れる可能性に賭けたい。私は苛立ちを覚えながら「いえ、先に行ってください」とだけ静かに言う。すると驚くことに、「いやいや、ほら、遠慮しないで」などと、キラキラした目でさらに余計な言葉をぶっこんでくるではないか。


誰が遠慮なんてするかよ。そもそもこのエレベーターは車椅子優先なんだよ。そっちが遠慮しろよ。優先席だって必要な人に譲るだろうが。エレベーターもそれと一緒じゃないの?乗れ、乗れって、そもそもスペースないのに、どうやって乗れっていうんだよ。とにかくもう時間の無駄だからさ、頼むから、お願いだから、さっさと私の言った通りに、先に行ってくれよ!!


私の脳内で繰り返され過ぎ、もはやテンプレと化してしまった苛立ちに軽い眩暈すら覚えながら「いえ、お先にどうぞ」と絞り出すように言と、「あらぁ、そうですかぁ?じゃあ、お先にぃ」などと言って、やっとやっと、扉が閉まる。


-ああもう、何なんだよ。毎度毎度の、この「儀式」は…


私のためにと本当に思ってくれるなら、文字通りちゃんと車椅子を「優先」してほしい。どうしてもそれが出来ないのであれば、せめて私の言葉通りに、とっとと先に行って早くエレベーターを動かしてほしい。「あらあら、遠慮しないで」なんて何度も言ってみたりして「ああ私っていいことしてるわ」みたいな満足感で気分よくなっちゃったりして、「本当は乗せてあげたくてせっかく親切に声かけたのに向こうが遠慮するもんだから仕方がなく先に行ったのよ」みたいな口実にされちゃったりして、ああもう何で私がそいつにいつもいつも協力してやんなきゃなんないのよ。

-その“親切”、私のためじゃないじゃん。あなたのためじゃん。


「車椅子優先」エレベーターは、99パーセント、私に「優先」されたことはない。

ただ不毛な「儀式」が繰り返される場であり、今日もまたここで、私の残り僅かしかない人生の時間が浪費されていく。



書くこと。生きること。

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/