テンプレート


「今回で24クール目です。これで2年ということですね」


クリニックの先生の笑顔に、一瞬、診察室の景色が遠のき、白く半透明に揺らぐ。入院を含めたら26クール目ってことか。

10日間連続投与を1クールとする、毎月1クールずつの点滴が26クール。26か月、2年2か月の間に、260回の点滴を受けてきた。

よく生き延びたなあと、思う。筋萎縮性側索硬化症(ALS)と確定診断を受けるまで数年。受けてから2年。どうにかここまでは発狂せずに生きられた。周りから見たら、もうとうに“どうかしている”のだろうけれど。


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現在、私が罹っている二個の難病のうち、一つ目の病気の確定診断を受けた頃。ゆっくりと動けなくなっていく自分の身体と、私を扱いあぐね少しずつ距離を置き始めていく周囲に、私は早く慣れようと必死だった。焦燥と不安でできた大きなボールの上に辛うじて立っていることに私自身が気付いてしまわないように、さり気ない風を装いながらバランスを取るようにして、私は毎日を過ごしていた。


病気を発症する前までの私は、とても忙しかった。仕事に、いくつものボランティア活動に、与えられた役割をこなそうと必死だった。人が余りやりたがらない、押し付け合いの果てに辛うじて成り立っているような地域活動に対しても、初めて部屋の片づけを任された幼稚園児のように無邪気に、まるで私という人格に期待して課されたもののようなお目出度い勘違いのぬるま湯にのぼせながら、私は張り切って取り組んでいた。


病気が進み、さまざまな理由から私はそうした役割を少しずつ整理していくのだが、本心を言えば当初、私はそれがとても苦しかった。自分が<動けなくなること>と同じくらい、自分が<要らなくなること>が怖かった。たとえ自分なんかいなくたって、世界は一ミリも影響されない。そんな自明のことが、私には受け入れ難かった。私の喪失は、私自身と、私のいたはずの世界に向かっていた。


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その頃、知人たちからのメールに頻繁に書かれていた一文がある。

「治療に専念してください」というものだ。


病気の人に対し、よく掛けられる見舞いの言葉。もちろん、わかってはいる。こんなものはテンプレートだと、十分にわかってはいる。でも私はこの言葉を目にするたびに、体が熱く、冷たく、硬くなった。腹の底の底から、人間全員を、呪った。

ふざけんな、と。


治療に専念するかどうかは私自身が決める。大きなお世話だ。ついでに言えば、私は治療に専念する気などさらさらない。残り僅かの時間、治療に専念して終わってしまうなんて、絶対に、絶対に嫌だ。治療に時間を費やして終わってしまうくらいなら、思う存分、したいことをして死にたい。私がこれからの短い大事な時間に何するかを、あんたが勝手に決めてんじゃねえ。

それに私には、この言葉の向こう側に「お前なんかもう引っ込んでろ」という意味が、意図が、透けて見えた。お前にはもうこの社会で出来ることなんか何もない。誰もお前に用なんかない。治療に専念されたところでこの世界の誰一人困らない。もう病気で動けないやつなんか邪魔なんだからさ、大人しく治療に専念してろよ -ってか?

ふざけんじゃねえ。


はいはい。悪気はないって、また言うんでしょ?もう聞き飽きたよ。

「こう言っておけばいいんでしょ?」っていう、定型文。おざなりで心の無い、形式的な言葉。だったらいっそ、何も言わない方が余程いいと、私は思う。

どうせ面倒くさいんだろう?無難に済ませたいんだろう? 

だからあなたたちは自分の言葉を使わないで、自分の頭で考えないで、こんなテンプレを、無機質な言葉を、何のためらいもなく使うんだ。


確か4年前に観た、ドキュメンタリー映画。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故によって、福島県で農業を営んでいた男性の父親は、農業団体からの出荷停止の報を受けて自ら命を絶ってしまう。家族と先祖代々の土地を奪われてしまった男性の元にしばらくして届いた、東京電力からの見舞いの書類。その冒頭には、ワープロソフトで自動的に入力されるような、定型文が印刷されていた。男性は激怒する。父親に対する東電の思いは、こんなもんか、と。絶望の末に自ら命を絶った家族に対して、おくるべき言葉は、こんな通り一遍の定型文か、と。


数年前。私の知人は、突然ご家族が病気で倒れてしまい、小さなお子さんを抱えて大変なご苦労をされていた。仕事と家族の介護と子育てで心身共に疲れ果て、休まる時間の無い中で、方々からこう言葉を掛けられたという-「大変だね。何かあったら、言ってね」、と。

-??? もう十分に大変過ぎる「何か」は、あった。もうこれ以上、「何」があるっていうんだよ? もし仮に、今以上に重大な「何か」が本当に起きてしまったとして、その時あなたにそれを伝えたら、あなたは何かしてくれるっていうの? 適当なことを言わないでくれ。


「前向きにね」「気にすることないよ」「もっと主張しないと」

-あなたが私の立場だったら、前向きでいられますか?気にしないでいられますか?今にも崩れ落ちそうな体を、心を奮い立たせて、声を出せますか?


どこかで聞いたような、わかったような、一秒も自分の頭で考えていないような言葉を、まっすぐなだけで濁り切った眼をしたまま、半開きの口を開けて、垂れ流さないでほしい。定型文だからといって、大勢が口にしていたからといって、相手を思わず、一瞬も吟味されないままに使われていいはずがない。

無難だと判断され選ばれたはずの形式的な言葉は、あなた自身の心の無さを、雄弁に語ってしまっている。


言っておく。

27クール目も、その先も、私は治療に専念などするつもりはない。

最期の瞬間まで私は、自分の生と生活に執着する。



書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/