哭くための口


息のできるうちにと、歯医者に通い始めて1年が経ちます。たまたま気になっていた歯を治すタイミングが訪れ、それなら思い切って、呼吸の続く今のうちに徹底的に治療してもらおうと通い始めるうちに、満を持したかのように次々と経年劣化を起こした奥歯たちが割れていき、とうとう2本の歯を抜く羽目になってしまいました。

治療中に痛みが出ないようにと、歯茎に念入りな麻酔を施してから治療を行うこともしばしばなのですが、先日の治療ではこの麻酔が効き過ぎたのか、驚き狼狽える事態が起きました。


この日の治療が終わり歯医者から出ると、私は麻酔された口元がマスクに隠されていることもあって、やれやれとすっかり気を緩めながら、ついでの用事をいくつか済ませ、自宅へと順調に電動車椅子を走らせました。家に着いてから少しして、乾いた喉を潤そうと冷蔵庫の中のペットボトルを手に取り、私はここで大いに焦ることになりました。


治療が終わりもう2時間が経とうとしているのに、私の口はジンジンと痺れ、一向にいつもの感覚を取り戻せないでいたのでした。それどころか麻痺しているかのような状態は時間を追うごとにますます強くなり、私の舌の左半分は、奥の方からまったくその感覚を失い、思うように動かすことも出来なくなっていました。


これではお茶は飲めません。口にほんの少しだけ含んで、もう何十年もやっているように、当たり前にそれをゴクリと喉の奥へと流し入れようとするのですが、私はその一連の動きに必要な舌の操作を、一切行うことが出来ませんでした。麻酔によりぐっすり眠ってしまった私の舌は、いくら焦り、念じても、一向に目を覚ますことはなく、ただ口の真ん中にデレンと場所をとっているだけの厚い筋肉の塊となったままでした。お茶を口の中に入れただけでは飲み込めないのだと、今更ながら、私は思い知らされました。口からただ流し入れただけでは、お茶は、口元や舌や喉による適切な誘導をされないまま、もういきなり口の脇から床へと垂れ落ちるか、口の奥へ入っていったとしても、そこから先は胃袋でなく、あろうことか肺に入ってしまう可能性が高いのだと感じました。

―まずい。このままでは確実にむせ返り、息が出来なくなる。

落ち着こうとしてみせる小さな咳払いも、どうやったものかただただ中途半端で、鼻と口との分岐点あたりに小さな羽虫でも引っかかったみたいで気持ちが悪く、余計なことをしなければよかったと後悔するだけでした。


いつもの動きを奪われて、ほんの僅かなお茶をも胃袋へと誘えない舌。ああ私はもうすぐこうなるのだと、初めて身体的な感覚を持って、それを体に教え込まれた気がしました。これまで何年もかけて足が動かなくなってきたように、手が動かなくなってきたように、当然、もうじき舌も動かなくなる。それは、もうずっと前からわかっていたことでした。それなのに私は、麻酔という否応もない薬の力をもってしてやっと、深く全身でそれがどんなことであるかを、僅かではあるけれど初めて思い知らされたのでした。こんなにも<どうにもならない>ことなのかと、手のひらくらいの小さな金槌で頭をスコーンと殴られたような気がしました。


そして私は思いました。これから先、動かない口で、舌で、喉で、どうやって泣こうかと。たぶん相当な泣き虫である私は、これからもいつものように、人に触れ、本を読み、ニュースを知り、映画を観て、エンエンと泣くでしょう。誰かがあまりに気の毒だとか、悲しすぎるとか理不尽だとか悔しすぎるとか嘆いては、あるいは素晴らしいとか嬉しいとか有り難いなどと胸をいっぱいにしては、そのたびにボロボロと涙をこぼし、ズルズルと鼻をすするでしょう。でももうすぐ私は、嗚咽をすることも涙を拭うことも鼻をすすることも出来なくなります。口も舌も喉も動かずに、叫びたいような私の嗚咽は、空中に書かれたかすれた筆の痕くらいにしかならないでしょう。そして呼吸をする筋肉まで動かせなくなる頃にはその空中の筆痕も残せなくなって、私はこれから先、すべての液体を顔から流れるままにして、息も漏らさず泣くことになるでしょう。


私はもうじき食べ物を飲み込むことが出来なくなってしまうので、その前に胃ろうの手術をするそうです。口からではなく胃袋に直接栄養を入れるために、小さな口を、私のお腹に作るのだそうです。

それでは、鼻水をすすりながら嗚咽を漏らすことが出来なくなってしまう私に、施してもらえる手術はないのでしょうか。オンオンと哭くための口は、作ることは出来ないのでしょうか。


ええ。もう一生、泣かなければいいじゃないかと、これまで何度も思ってきました。もうこれ以上残念なことなど、私には無いだろうと。でも違いました。生きている毎日は、泣きたいことだらけなのでした。止まってくれない涙を、赤くなった鼻を誤魔化さずにいられたら、どんなに楽だろうとも思いました。でも私にはあまりにも難しすぎて、今ではもう、それが私なのだろうと思うようになりました。


私はこれからますます、<どうにもならない>身体になっていきます。でも私は私のまま、私以外の誰にも決められずに、語られずに、閉じ込められずに、思うままに泣き、思うままにありたいと思います。




書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/