なぜ書くのかと言えば、それが「私が生きていたこと」の証だからである。

それは「私が、私として死んでいくこと」でもある。


確かに私は生きていたと

私は私という、個であったと


私は、声を失うが、

私は、私以外の誰かが私を語ることを、全身全霊で拒絶する。


あいつは、苦しんでいると、不安なのだと

あいつは、虚しかったのだと、絶望していたと

あいつは、もがいていると、許していると

あいつは、幸せだったと、もっと生きたかったのだと


語るな。私の声を奪うな。私を利用するな。

私を、いなかったことにするな。



戦場で彼は、誰として死なねばならなかったか。

収容所で彼女は、誰として死なねばならなかったか。



私は個として、すべてのものから疎外され、峻別されることを望む。

私は 私として、ここに生きて、死んだのだと


なぜ書くのかと言えば、それが「私が生きていたこと」の証だからである。

それは「私が、私として死んでいくこと」でもある。



書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/