『野火』
死の観念は、私に家に帰ったような気楽さを与えた。どこへ行っても、何をしてみても、行手にきっとこれがあるところをみると、結局これが私の一番頼りになるものかもしれない。
―大岡昇平『野火』
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『野火』を読む。「敗戦の決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された」日本兵の物語である。自身の血液を吸った山蛭を食い、熱帯の原野に命を繋がなければならなかった中年兵の、飢えと孤独。そこにあるのは、友軍の屍体と、自分と、“神”との時間である。
街を歩き人と交わっても、私はいつも自分だけの原野にいる。日々、ただひとり孤島に死を予感する自分の影を少し高い所から眺めているだけの現代の病人である私は、三八銃を担ぎ、叢を、泥川を裸足で一人敗走する彼を呼び止め近づくことを願うが、追いつけない。
彼は孤独でありたいはずだし、それは私も同じだ。しかし私は肉を喰らい、満腹で、今のところ国家に私という生命の役割を恣意されない。そして何よりも、“神”を知らない。
私は、どうしたら赦されて死ねるのだろうか。掌に杭を打たれ木下闇に放り置かれたらいいのだろうか。それとも、戦争への悪寒が止むことのないあれからの時間を懺悔して、彼に撃たれたらいいのだろうか。
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