師走の朝に②
なぜ飽食した客人のように人生から立ち去らないのか。
もしも人生を利用できなかったのなら、それを失ったところで何だというのだ。何のためにそれ以上生きることを望むのか。
(モンテーニュ『エセー』第一巻第二十章)
―あいたたたたた
手厳しいが、痛快である。思わず唇に今日初めての笑みがこぼれる。
自分こそはたとえそれが僅かであったとしても確かに何かをしてきた筈だ、などという目も当てられないほど意地汚くみすぼらしい幻想にしがみつき、地面に腹を付け言い訳の塵屑を搔き集めるのはよそう。
そう、人生になど何もしてきちゃいない。失ったところでなんであろう。
カエサルは親衛隊の老いさらばえた一人の兵士が路上で死を賜りたいと願い出たのに対し、そのよぼよぼの姿を見て冗談に、「おまえはそれでもまだ生きているつもりか」と答えた。
(同)
―やられました。そうですよね。私自身、迂闊にも、まだ生きているつもりでいたのです。
されば、とりあえずそんな気分で、そうしたいから、という理由でいかがでしょう。
生きよう。立ち上がり、私は私を更新し続ける。生き終わるまで。
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