10か月
昨年3月にfacebook(現在利用解除中)に投稿した文章。
この10か月という時間に、確かに進んだのはおまえの病気だけではないよと、よい世界になったよと、どなた様か仰ってくださいな。
10か月後を思ってみることの出来ない私に、どうか、どうか。
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【2020/03/06:コロナウィルス感染症に関わる報道を目にして感じたこと】
まず一つ。感情的、情緒的報道の垂れ流しにはもううんざり、ということ。
トイレットペーパーを買い占めてけしからんとか、薬局でマスクを奪い合ってケンカが起きたとか、子どもたちが友達と会えずにかわいそうとか、どこぞのアーティストの心温まる神対応とか、誰かがマスクを寄付したとか、正直どーでもいい報道ばかり。
テレビ画面には一日中、事の本質から目を背けさせるための印象操作かと思うような、スーパーの空っぽの棚だの、大阪のライブハウスだの、仕事に行けないとため息をつくマスク姿の母親の顔だのといった映像が繰り返し何度も何度も映し出される。
私が知りたいのは、そんなことじゃない。
いったい今日本で、世界で何が起きているのか、なぜこうなってしまったのか、国は、エライ人たちはどう対応しようとしているのか、この混乱を、不安を、危機を皆でどう乗り越えたらよいのか、そしてこれを超えた先に、私たちはこの国をどうしたいのか、そのために何を考えていかなければならないか、ということ。
なのに、私が思いつく程度の簡単な疑問に触れ答えてくれようとする報道はほとんど見当たらない。
突然発表された全国一斉休校の要請などという事態にも、私たちが子どもたちのため、この国の未来のために死守しなければならない大切な学校教育が1か月近くもなくなってしまったことへの危機感は全くと言っていいほど聞こえてこない。
国外で日本人が「コロナ」と暴言を浴びせられたり暴力を振るわれたりした、などというニュース記事を目にすれば、もともと抱いていた異人種に対する差別感情が、不安がトリガーとなって我慢できずに暴発しているだけではないだろうかとゲンナリする。
マスク購入のため個人を管理するシステムを導入するとかいう報道にも、この混乱に乗じて何か余計な制度や法律まで抱き合わせで出来てしまわなければいいのだけれど、といった不安でザワザワして仕方ない。
経済活動が停滞し、人びとの生活は委縮し続け、国際的な信用までも失い、相当ヤバい不況が続くのではといった不安の息苦しい空気の中で、考えることは山積のはず。
そして心から願うことは、弱い立場の人たちへのしわ寄せがいかないでほしい、ということ。
大きな不安の中にいると、「みんな大変なんだから」=「だからアンタたちもそれくらい我慢しなさいよ」、という論理が平気で正当化されてしまったりする。フツーのひとたちもそれなりに大変なんだから、フツーじゃないアンタたちだって仕方がないんだから贅沢言わないで、といういつもの理屈。贅沢を言っているのではない。同じ人間として、同じように暮らしたい、というささやかで、当然の願いを実現したいだけ。
少数の、声の出せない人たち。声を出すことさえも諦めてしまった人、弱い立場の人、貧しい人、差別されている人。そうした人たちが、切り捨てられ排除されないように。不安で混乱している時だからこそ、「それ」と「これ」とをゴチャマゼにされないように、老眼で見えづらくなった目を凝らしていきたいと思います。
(2020/03/06)
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