読書メモ(番外編①)

                              

 駅を探そう。ここではないどこかへ行こう。やり直す、というのは、身勝手過ぎるけど、せいぜい自分の人生を生きよう。妻でもない、母親でもない、自分の人生を。生きることに、決めたのだ。

 そして、自分だけを特別だなどと思うのはやめよう。開き直るのではなく、我が身の悲劇に酔わないという意味で。自分と似た女は、きっとあちこちの街で、少なからず生きている。野良猫のように。ときには尻尾を立て、ときには身を丸くして息をひそめて。

 -『邪魔』奥田英朗


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奥田英朗という作家を、私は迂闊にも最近まで知らなかった。そして、死ぬ前に出会えてよかったと、危ないところだったと、闘病の閑暇に偶然にもその作品に触れることが出来たことを心から喜んでいる。

初めに手にしたのは『罪の轍』という作品だった。驚いた。一気に読み終え、はて今自分は何処にいて誰の人生を生きているのだっけと、心地よく放心した。その後、氏の二作目という『最悪』を読み進めながら私は、この作家は実は一人ではなくて、15人くらいのそれぞれ別の豊かな人生経験を積んだ人間が寄り集まってこの作品を作り上げているのではないかとか、いや、奥田という人は思いのままに生霊となれる人であって多様な人間に自在に憑依してその人らを内側から取材出来てしまうのかもしれないなどと、馬鹿げた想像をした。じゃなかったら、いったいどうやって一人の人間がこんなに濃厚で繊細な群像劇を書けるっていうんだよと、どうにも不思議でならなかった。

私はまだ3篇しか奥田作品に触れていないが、神は細部に宿る、という言葉を読みながら何度も思い出した。時代も風景も私の眼前に鮮やかに立ち上がって、ここでも世の中はやっぱりちゃんと理不尽だった。焦りも、困惑も、怒りも、怯えも、蔑みも、嫉妬も、一片の愛おしさも、すべてが現実以上のぶっとい輪郭なんだぜ。

―ああ、参った参った(ニンマリ)



書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/