無題20210304


相変わらずテレビのニュースショーは耳障りだ。「ちょっといい話」と、「お互い皆んなかわいそうだね」って話。
なんでこんなに毎日毎日放送してるんだ?これがウケるのかね?これが求められているのかね?


遊べなくてかわいそう
旅行に行けなくてかわいそう
サークル仲間と会えなくてかわいそう
友達と飲みにい行けなくてかわいそう
部活ができなくてかわいそう
試合に出られなくてかわいそう
オンライン授業ばっかりでかわいそう


「かわいそう」がるの、ほんとに好きだね。悪いけど、とっても気持ち悪い。

まだ人生に何も経験していない子どもたちが(今は大学生もまだ十分にガキだ)こんな禍の中の自分たちをどう捉えたらいいか、わからずに途方に暮れるのはある程度仕方がないと思う。きっと、100年に一度と言われればそうかなあと思い、世界的危機と言われれば成る程と得心するのだろう。大人だって似たり寄ったりかもしれない。

そんな子どもたちに対して大人たちが、「君らはかわいそうだ」って寄ってたかって言い過ぎなんじゃないかと、私は思う。オンライン授業しか受けられないことが果たしてかわいそうか?サークル仲間と会えないことがかわいそうか?カラオケで遊べないことが、旅行へ行けないことが、“これまで通り”でないことが、わざわざ繰り返しテレビで取り上げなければならないほどに、他のあらゆる理不尽の下に抑圧され希望を失いしゃがみ込んでいる人たちを押しのけて連日公共の電波を使い報道しなければならないほどに、「かわいそう」なのだろうか?
そしてそんな風に彼らを「かわいそう」だと煽り立てる大人たちは、彼らに向かってそれを繰り返し吹き込むことの“悪”を、考えたことがあるだろうか?

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こんな時代なんだ。これを乗り越えた先にも、いつまた大きな禍が降りかかり呆然と立ち尽くさねばならない日が来るかわからない。だから私たちは今こそ真剣に考えるんだよ。これから未来へ向けて。自分たちはどういう世界で生きたいか。どういう世界であって欲しいか。そのために自分は何をしたらいいか。病だけじゃない、暴力に、差別に、貧困に、苦しんでいる人はいないか。どうしたらその苦しみを減らせるのか。この先の世界を、今こそ考える時じゃないのか。

家での時間を持て余しているのなら、本を読み映画を観たらいい。一生かかっても読み切れない本がある。観切れない映画がある。もし部屋で一人きりなら、一人でいることに、一人で考えることに集中してみたらいい。いかにそれが大事なことか、気付く機会になればいい。誰かの言葉と自分の言葉の区別がつく人になって欲しい。西陽の斜めにさす部屋で膝を抱えながら、自分の心に嘘をつかないことを、自分として生きていくことの大事さを考えてみて欲しい。そして、自分の良心を、当たり前を、疑ってみて欲しい。

オンラインで授業が受けられるなんて素晴らしい世の中じゃないか。この国の教育で初の大掛かりな取り組みだろう。この機会を大いに活かして、君たちは今こそ、そこでじっくり学べばいい。大人たちは君たちのために、こんな時代でも試行錯誤の果てに教育を手放さなかったんだよ。だからどうかどうか、真剣に、しっかり学んでくれ。禍や戦争の無い、平和な世界をつくるために。

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私たち大人がすべきは、子どもたちにこうしたメッセージを届けることなんじゃないか。「君たちはかわいそうだ」と、時代の被害者なのだから何も考えず慰め合えばいいと、何もかも仕方がないのだと、柔らかな子どもたちの脳味噌へタピオカみたいに甘ったるい言葉をせっせと注ぎ込んでいる場合じゃない。こんな時代だからこそ全力で学べと、涕涙悶絶する程に考えろと、君たちにはそのための力があり環境も与えられているのだと、君らの目指すもののためならいつだって大人を頼っていいのだと、私たち大人は背筋を伸ばし正面から彼らに向き合って、強く伝えるべきだ。

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誰かを「かわいそう」がれば、自分に対する「かわいそう」のハードルも下がる。君も僕も「かわいそう」。 ー誰も悪くないんだよ、誰かが苦しんでいても誰のせいでもない、すべて仕方がないんだよ。ほうら、「ちょっといい話」を聞かせてあげよう、あったかい世の中だね、心があたたまるね… ーああああクソ気持ち悪い思考停止。自分を追い込むことは決してしないのに、自分を憐れみ気の毒な被害者に仕立てることには必死なのだ。大事な本質には絶対に触れることのない「ちょっといい話」というモルヒネの中毒患者になって、考えることを集団で放棄する気なのだろう。ふざけんな。

我々大人には義務がある。子どもたちを盾に被害者ごっこをしている場合じゃないんだ。
今こそ責任を果たそう。子どもたちのためを思うのなら、彼らに未来を託したいと本当に望むのなら、「かわいそうな私たち」を演出する前に、堂々と胸を張り語るべきなのだ。私たちも怖いと、わからないと、でも負けないのだと、そのために私たちは誤魔化してはならないと、諦めず考えなければならないと、あなたたちを守るから希望を捨てずに安心してついて来いと。子どもたちの未来が平和であるように。苦しむ人がいないように。それが私たちの責任だ。


書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/