『武漢日記』

『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』方方・著、飯塚容・渡辺新一・訳(河出書房新社・2020)を読む。

私の抱く中国という国の印象といえば、ウイグルやチベット、モンゴルにおける甚だしい人権侵害や香港における自由の抑圧など、中国共産党独裁国家として国家の意志の前には人権や自由なんてものは無いも同然の、環境や格差や外交など解決すべき大きな問題をいくつも抱えるアジアの大国であり隣国、といったところであって、残念ながら良いイメージはあまりない。一方で私にとっては旅行で最も頻繁に訪れた憧れの土地でもあって、大きく遠く深く遥かな歴史や自然や、文化の多彩さ豊かさに心を奪われ忘れられない思い出も多く、10〜20年前頃にはフィルムカメラを片手に何度も通った国でもある。

あの頃に私が旅した中国の都市はいずれもが、訪れるたびにいつも違う場所に来てしまったのではないかと思えるほど凄まじいスピードで街は整備され物は溢れ行き交う自動車は増えていって、私のような愚図愚図とした旅行者でさえも、その経済発展の勢いには目を見張らざるを得なかった。私自身は大都市・武漢の土地を踏んだことはないのだが、きっと武漢も人と物と活気に満ちて、勢い目覚ましく発展を遂げ続けている都市ではないかと想像する。


著者の方方(ファンファン)氏は中国の人気小説家である。湖北省作家協会の主席も務めていた女性であり、武漢に暮して60年という“武漢人”だ。新型コロナウイルスの感染拡大による武漢の都市封鎖の2日後から解除までの60日間、生活者として武漢人として、部屋に籠りニュースに耳を目を研ぎ澄まし、SNSで家族や仲間達と連絡を取り合い近所の人たちと助け合いながら暮したその毎日を、個人的日記としてブログに綴っている。
窓から見える雲の流れや庭木の様子、不足するマスクやその日どんな食料を知人らで融通し合い何を調理して食べたかなど、個人の日記として私たちにも身近にその生活の空気みたいなものが感じられる記述が続く。地方政府による感染対策や患者や家族への救済に対する疑問や批判が鋭く率直に書かれる一方で、治療の最前線にいる医療従事者、封鎖下の市民生活を支える行政職員や警官、食料品店の店員や道路の清掃人などへの感謝も日記の中で細やかに度々綴られていく。

彼女の日記はブログの形でインターネット上に投稿されたが、毎日のように(ブログの運営事業者あるいはその背後にあるもっと大きな力によって?)文章は削除されブログは遮断され、日記は知人のアカウントを利用して更新せざるを得なくなっていく。かの国の言論の自由の抑圧されている度合いについて私は正確な知識を持たないが、おそらく公序良俗に反するとか(言いがかりはいくらでもつけられる)、はたまた地方政府にとって著しく都合が悪いとかといった大っぴらに出来ない理由で削除され遮断されてしまったのだろう。しかし方方氏自身も疑問だと指摘する通り、日本人の私にも日記の内容はそれほど過激とも煽動的ともまして犯罪的とも感じられなかったし、彼女の個人的日記が一方的に執拗に削除され続けなければならなかった理由がよくわからなかった。一体、“彼ら”は何が怖かったのだろう?

彼女の日記の内容自体は日本人である私にとっても非常に示唆に富んでいて、単純に新型コロナの情報云々といったものを遥かに超えて読むべきところがとても多く、そのまま日本の我々に重ねることが出来る部分が多々あるように感じられた。人命に関わる科学的事実を踏み越えて政治的国家的都合最優先で真実を隠蔽し国を社会を動かそうとする権力への警鐘。事態の分析・検証を怠り誰も責任をとろうとしない地方政府や病院の上層部に対する批判には、これは我が国の政治や官僚機構や企業やメディアや、あらゆる“力”や“組織”に対しても全く同様なことが言えるのではないだろうかと大きなため息が出た。

方方氏のブログには次第に悪意に満ちた攻撃的なコメントが大量に寄せられるようになり、事実無根の批判記事などがネット上のあちこちに書き込まれていく。「皆んなが大変な時に政権批判をするとは何事だ」といった同調圧力は日本人もお得意のやつだろう。SNS上で悪意の集中砲火を浴びながら怯まず屈することなく書き続けた作家として人としての断固たる姿に私は大いに敬意を払う。しかし氏の精神の強靭さに感動する一方でその魂の繊細さを想像するとき、心身の健康が少し心配にもなってしまう。方方氏にはどうかいつまでも健康で小説を書き続けて欲しいと願う。
都市封鎖下の自宅の部屋で、陰湿で組織的な「悪意の襲来」に対し“言葉の力”を信じ闘い続ける一人の女性の姿を思うとき、文章を書くことを生きる力に毎日を辛うじて生き延びている私は心を動かされ背筋の伸びる思いがする。方方氏が日記を綴っていた当時、一億人を越える読者が毎日の深夜のブログの更新を心待ちに待っていたという。無数の声無き声は氏を支える力となり、氏の書くブログは大勢の武漢の人びとや武漢の外にいる家族や仲間たちや、彼らに思いを寄せる人びとの支えとなったであろう。

日本に比較して言論や表現や報道の自由の制限された国、“遅れた国”の話だろうなどと頭ごなしに決めつけて、国家や民族や集団と“人”とを区別して考えられない愚かで差別的な寝ぼけ頭のままくだらない優越意識の上にあぐらをかき、謙虚さも理性も知性も合理性も失って受け止めるべき言葉から目を逸らし耳を塞いで、怠惰と保身に溺れ事態を曖昧に放り置いて自分だけは特別で安全で未来永劫問題無くすべては他人事なのだと思い込みたいように思い込み自らを省みることを忘れてしまえれば、ほら、もうあと一歩だ。奈落へのクレバスはもう深く大きく足元へと迫っている。

こんな時代に、書くことの意味を、声を上げることの意味を、改めて。

書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/