草の根運動


電動車椅子で街をウロウロしていると、車椅子に興味を示したらしい子どもたちに声を掛けられることがある。大体が、小学校低学年くらいの子たちだ。

「これ、車椅子でしょ?あたし、知ってるよ!自動で動くんでしょ?」
「あ、うん。自動っていうか、電動かな。このレバーで動かすんだよ」
「へえええ」
「凄いでしょ。カッコいいでしょ」
「うん、すごい。カッコいい!」

車椅子=カッコいいと思わせる作戦。私が一人で超地道に続けている“草の根運動“だ。

子どもたちが、初めて出会ったものに対してどう受け止め解釈したら良いのかを判断し、子どもたち自身でイメージを育み学習しようとしているその瞬間をとらえて、車椅子=カッコいい、とその柔らかな頭にプリントする。
そして案の定といっていいのか意外にというべきなのか、子どもたちは私の言葉に必ず「カッコいい」と言って素直に応じてくれる。こうやって操作するんだよとか、スピードも変えられるんだよとか教えると、その目をキラキラさせてウンウンと頷きながら、「足動かないの?」とか「ケガしたの?」とか、かなしそうな顔をして逆に私に質問してくれる。
しばらくやり取りをしているうち、子どもは一緒に出掛けてきて買い物をしていたらしい母親を見つける。ママー!と言って駆け寄ると、私の方を振り返り振り返り、何か言っている様子だ。母親は私に軽く会釈すると、子どもの手を引いて離れていく。

なぜこんな“草の根運動”をしようと思い始めたかというと、私が街で子どもたちと出会うとき、周囲にいる親たちが車椅子に近寄る子どもに向かって叱るようにこう言っているのを耳にすることが多いからだ。

「危ない!」
「そっちへ行っちゃダメ!」

私は何とも言えないかなしみに胸を焼かれたような気持ちになって、心の中でこう叫ぶ。

「車椅子は危ないものじゃない」
「車椅子は近寄っちゃいけないものじゃない」

このままでは、子どもたちは車椅子=近づいちゃいけないもの、と思い込まされてしまう。何でもグングン吸収する子どもたちの頭に心に、車椅子や車椅子の人は危ないもの、怖いもの、離れなきゃならないものであるというイメージが刻まれてしまう。それも、子どもたちが最も信頼する親たちの言葉によって。これは危機だ。そして何とも辛い。車椅子にとって、何より子どもたちにとって、こんな残酷なことは無い。車椅子の人の歩行を邪魔してはいけない、という意図も親たちにはあるのかもしれない。しかし、未知の器具、未知の風貌の人間に対して、危ないとか、そっちへ行くなとか、親たちのそんな強烈な言葉が子どもたちに刷り込んでしまう印象は拭い難く、親たちの行為は罪深い。何より私自身、とてもとてもかなしい。そして私は電動車椅子という発明品を心から凄いとも思っていて、それを子どもたちにも知って欲しいし、私は子どもたちに、自分のこの姿を悲惨で恥ずべきものだとは思っていないことを伝えたい。

車椅子のおばあちゃんに叱られる私の孫は、おばあちゃんはうるさいとか嫌だとか思っているかもしれないが、車椅子が怖いとか避けるべきものだとは思っていないだろう。

人と人として、普通の出会いをしたい。
子どもたちにも、させてあげたい。
大人はその邪魔をしてはいけない。


書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/