祖父への旅
私の祖父は戦死した。昭和19年、硫黄島近海でのことだと聞いた。
勤め人だった祖父は、まだ若い妻と幼子を残し、召集され大日本帝国陸軍の兵隊として死んだのだった。
つい最近そのことを父から聞いた私は、祖父の軍歴について、そして祖父の最期について知りたいと思った。ただ、その詳細を知るのは高齢で伏せている親戚だけらしく、煩わせて負担をかける訳にもいかなかった。私は硫黄島での戦闘に関連する本を読み、関連する資料を探し始めた。
家族から、故郷から遠く離れて、祖父は何を思い、何を考えたのか。戦地へ派遣されねばならぬ我が身を、命を、どう考えたのか。最期に、何を思ったのか。
祖父はどのように亡くなっていったのか。祖父は何故、日本兵として、死なねばならなかったのか。
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数年前のこと。私はベトナムのホーチミンにある博物館を訪れた。その少し古びた建物はかの国らしいゆったりとした雰囲気を持っていて、私は私たち家族以外に来館者をあまり見なかった。
ベトナムの歴史に関する資料が並ぶ薄暗い展示室の片隅に、一つのジオラマが置いてあった。それは、それほど大きくないガラスのケースの中に、どこかの地形らしい丘と熱帯風の森林の様子を表したもので、その風景の中にさらに小さな、1センチにも満たないくらいのミニチュアの人形が無数に配置してあった。展示に日本語の解説は無かったが、それでもそのジオラマが、ある戦闘の場面を再現したものであることは私にも理解できた。一つひとつの極々小さな人形が、ベトナムの兵士の一人ひとりなのだった。
私はそのジオラマをしばらく見て、絶句した。このガラスケースの中に散りばめられた人形の一つひとつが命であり、母親から生まれ、健やかな成長を祈ってその名前を与えられた一人ひとりなのだった。この戦場では、その一人ひとりが、一人ひとりではいられないのだった。その部隊を、戦闘を、戦争を、歴史を構成した、ただの部分なのだと思った。私は、その米粒ほどの、無数の動かぬ人形たちに戦慄した。
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1センチにも満たない、日本兵のミニチュア模型になった祖父を想像する。
その人がその人として生きたという事実、死んだという事実は、誰によっても何によっても奪われてはならない。その命は、生きた時間は、絶対に、誰かの都合のいいように語られたり扱われたりしてはならない。その人はその人でなければならない。その人はその人として生き、その人として死なねばならない。命は数ではない。ある出来事や集団を作るコマでもなければ要素でもない。何かの部分であってはならない。何かの表象であってはならない。誰かの思惑のために利用されてはならない。常に誰もが、一分の一であって、その人である。未来永劫、その人はその人そのものであり、一人の人の生きた時間は、それとして、ただそのままに、あるべきである。
命に優劣はない。軽重もない。死んでも仕方がない命などない。死んでもどうでもいい命などない。絶対に、そんなことは言わせない。
私は祖父の死を確かめ、見つめなければならない。
祖父はどのように亡くなっていったのか。祖父は何故、日本兵として、死なねばならなかったのか。
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厚生労働省のサイトを見ていたら、遺族として、祖父の軍歴の開示請求が出来るらしいことを知った。新宿に本籍のあった祖父については、東京都に問い合わせることも可能だという。
都庁の担当部署に電話をする。古いことなのですが、と前置きをして祖父の話をすると、よくある問い合わせなのだろうか、ハイハイ、という感じでスムーズに受け付けてくれた。
祖父の氏名や本籍地の住所、生年月日を伝えると、折り返します、とのこと。30分ほどしてかかってきた電話によると、確かに祖父のものらしい記録があるという。古い資料なのでもう少し調べるのに日にちがかかるが、と担当者に言われる。はい、宜しくお願いしますと言って電話を切る。私は、いつ電話がかかってきても良いように、スマートフォンのマナーモードをオフにした。
2日後、東京都の担当者から電話をいただく。確かに祖父の記録はあったが次のことしかわからない、と言われる。
・所属部隊
・亡くなった日
・亡くなった場所
・戦死公報が出された日
祖父が戦死した時に父はまだ3歳で、その後、父は曾祖父母らに育てられた。父は、父が子どもの頃に曾祖父母らに聞かされたらしい、祖父の亡くなった日と、亡くなったと伝え聞いているおおまかな場所しか覚えていないという。所属部隊名が分かれば、戦史叢書その他の資料によって、兵隊となった祖父の過ごした時間について何か手掛かりが掴めるかもしれない。父と私にとって大きな意味を持つ、新情報である。
情報の開示については書面でのみ請求を受け付け、そのやり取りはコロナの影響で郵送のみ可とのこと。残念ながら、電話では情報の一部すらも教えることはできない、と言われた。開示請求に必要な書式は東京都から送ってくれるとのことで、住所を告げる。また、祖父の戸籍に関する書類の提出も、後に必要になるらしい。担当者曰く、都で分かることは書類にしてほんの一行程度のことしかなく、さらに詳しいことを厚生労働省に照会してみるので少し待っていて欲しい、とのこと。私は何だか祖父が丁寧に大事に扱われているような気持がして、担当者に心から感謝を伝えた。
父に電話をし、ここまでの経緯と、今後の書類でのやり取りについて伝える。祖父の戸籍には、祖父と父との親子関係は記載されていても、祖父と孫である私との直接の関係は記載されていないため、父でないと揃えられない書類がある。父にそれを告げると、何でもやると言ってくれた。
よくまあ、おまえここまで調べたな、と父があきれる。私、しつこいからね、と言ったら、受話器の向こうで笑う声がした。
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