無題20210906

ここ数日、自民党総裁選がニュースのトップ項目になっている。

テレビの生番組のニュース・ショーに、候補者(または、そう目されている人)をゲスト出演させ、その経歴だの人柄だの趣味だのを番組あげてほめそやしている。

-いったい私は、何を見せられているのか?


特に我慢がならないのは、ある総裁選候補に対するテレビ局の扱いだ。テレビは、政治家が何を言い何をしてきたかを、なぜこうも無視するのだろう?ドラムが趣味だとか軽音楽部だったとか、そんなことは本当に、心の底からどうでもいい。もしかしたらこの日本で最大級の権力を持つ政治家になるかもしれない人の政策や思想信条について、なぜテレビは、もっときちんと伝えようとしないのだろう?


忘れもしない、東日本大震災直後の2013年、この候補者は原発再稼働推進派として「福島第一原子力発電所事故で死亡した人は存在しない」と言い放った。この事故について、公式に非公式に「震災関連死」とみなされた方々の、どれだけ多くいらっしゃるか。彼女に、この候補者に、知らなかったとは言わせない。この国の有権者に選ばれたはずの国会議員である彼女は、この国史上最大規模の原発事故における重大な事実を隠蔽し、苦しみ弱り絶望し怒っている人たちの存在を軽んじ無視して、政治家として臆面もなく大嘘を吐いた。その後、与野党双方や自民党福島県連からの猛批判を受けて自らの発言を撤回したが、こんな程度の人間が選挙で当選してしまうのかと、私は怒りと失望と無力感で身体が熱くなった。


さらに彼女はこれまで一貫して、富の再分配を縮小し、社会保障を、福祉を、削減すべきと主張している。「『さもしい顔して貰えるものは貰おう』とか『弱者のフリをして少しでも得しよう』と目論んでいる『奴ら』から日本を取り戻さねばならない。『(富裕層への)嫉妬に立脚した法制度』を削減し、『正直者が報われる社会』を」、という趣旨の発言を繰り返しているのである※。

社会保障に頼り生活しているような人間は、貧困に苦しんでいるような人間は、たいがいが「弱者のフリ」をしている怠惰な嘘つきで、われわれ「正直者」の分け前を不正に横取りしようとしている、さもしく狡いやつらである、という印象を植え付けかねない(いや、おそらく植え付けようという意図の)、偏見だらけ、問題だらけの言説だ。”狡い奴ら”と”正直者のわれわれ”、という恣意的で単純化された構図を提示してみせ、分断を煽るやり口である。

もし実際に、社会保障制度の枠がこのような偏見だらけの理屈によって今よりも狭められてしまえば、当然、そこから排除され、置き去りにされてしまう人たちは今よりもっと増えていくだろう。そして、生きること自体を諦めてしまう人もさらに多くなってしまうだろう。

自分ではどうしようもない偶然によって与えられてしまったそれぞれの境遇の中で、みなそれぞれに、精一杯やれることをやり、毎日をがんばって生きている。不運とみなされるような環境や偶然の中にいるほとんどの人たちが、しんどい中でも、少しでもよき人生をおくろうと、必死に生きている。狡い人も、もしかしたら、ほんのごくわずかいるかもしれない。しかし、そのほんのわずかの人たちがあたかも制度利用者の大多数であるかのような誤解を与えかねない偏見まみれの発言を繰り返し、福祉の受給者は怠惰でさもしく狡い「奴ら」ばかりなのだから、そんな「奴ら」は日本から排除して、われわれ「正直者」の手に日本を取り戻そう、などというのは、分断を煽る欺瞞だらけのレトリックだ。もし現行の社会保障制度に問題や不備があるのなら、”受給者=悪人”であるかのような乱暴な印象操作による切り捨てを行うのではなく、すべての人が自分の人生を諦めず生きていけるように、救われねばならないすべての人たちに福祉の手が届くように、丁寧に慎重に繊細に、それこそ狡いことは無しに、議論を尽くすべきだろう。

たまたま恵まれた境遇の中にいることのできた自らの幸せな偶然はなかったことにして、そのすべてがまるで自分の努力のおかげであるかのように、能力ある自分たちに当然与えられるべき幸せの分け前を受け取っているだけであるかのように振舞い、不遇の中にいる人たちは自業自得、自己責任なのだから、怠惰を改め、嫉妬ばかりしていないで自助でなんとかしろ、という。この国の政権与党の総裁候補が、そう発言しているのである。いったいコロナ禍の今も、この人は同じことが言えるのだろうか。


まだまだこの総裁選候補について言いたいことは山ほどあるのだけれど、この人だって、自分勝手に国会議員になった訳ではなくて、法に則った正当な選挙で当選したのだ。この候補者の背後には、この人に票を入れた大勢の有権者や、支持者らがいる。そして今、この人にとっておそらくあまり都合のよくないだろう過去には一切触れずに、画面いっぱいにそのぎこちない笑顔を映し、生ぬるくもてなしてくれるテレビ番組までも、なぜだかこの候補者には用意されている。


もうディストピアのような世の中だけれど、名もなき一介の難病患者が、読む人のほとんどいないブログに意見を書き散らかすくらいの自由は、おそらくこの国にまだ残されていると私は信じている。



※[参考]ウィキペディア 

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%AB%98%E5%B8%82%E6%97%A9%E8%8B%97&oldid=85390815


書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

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