アルバイト日記

その昔。そう、うんとうんと前のこと。

アルバイト先を探していた私は、新聞に折り込まれていた求人広告の中に「事務員募集」の文字を見つけた。会社の名前は聞いたことがないけれど、新宿なら私のアパートからバスを使えばそう遠くなく、何よりお給料がいい。

電話で問い合わせたところ、履歴書を持って面接に来いとのこと。指定された時間に出向いてみると、雑居ビルの二階、3DKの住居を改装したような小さな事務所だった。

対応してくれたのは50過ぎくらいの女性。少しふくよかで、目と声が大きく表情豊かな人だった。眼鏡を鼻の先にずらして履歴書に目を落とすと、

「まあ、ちゃんとした学校に行ってたのねぇ。ウチに来てもらえて嬉しいわ。さっそく明日から、どう?」

私は採用ということになった。


そこは建設関連の小さな会社で、やはり50台半ばくらいの社長と、面接をしてくれた社長の内縁の奥さん(以下、奥さん)が仕切っていた。ほかにも従業員の人たちはいるのだが、いつもみんな現場に出払っていて、社長も奥さんも事務所にいたりいなかったりという、アルバイトたちにとってはとてものんびりした職場だった。私を含めた女性ばかり4、5人の事務員たちは、その日によって1人か2人体制で、事務所のパソコンに向かって入力や集計の作業をするのが主な仕事だった。社長と奥さんは事務所の入っている雑居ビルの上の方の階に住んでいて、会社というより商店といった雰囲気がした。

この社長と奥さんがどういう経緯でこの会社を起こし当時に至るのか、私の文章力とコンプライアンス的な問題からとても文字にすることが出来ないのが残念なのだが、大雑把に言えば愛の逃避行の末に大会社のエライ人に拾われて会社を興したという。おかしそうに思い出話をする二人の顔を、当時の私は目を丸くして見ていた。


私はこの奥さんの人柄が好きだった。破天荒で、魅力的な人だった。

出勤すると、小さな事務所の中はいつも、奥さんによってちりひとつなく掃除されていた。机は完璧に整理整頓され、棚のコピー用紙はどのサイズも一枚の乱れなくピシッと揃え置かれてる。トイレはいつも清潔で、狭い台所もピカピカだった。

ある日のこと。出勤すると事務所の奥が騒がしい。

「ああああああ、いやんなっちゃう」奥さんの大きな声。

「もしかして、また?」アルバイト仲間に小声で聞くと、

「昨日、負けたらしいよ」。やっぱり。パチンコだ。

大声を張り上げたくらいでは気が収まらない奥さん(繰り返し書くが、この人はもともと声が大きい)。

「ああもう!9万よ!9万!」

はあ。9万円も負けるって…私のバイト代、何時間分だろう。てか、何時間パチンコ屋にいたらそんなに負けられるんだ。

そういえば奥さん、昔フリーのセールスマン?で、たいそう稼いでいたらしいと聞いた(何を売っていたのかは怖いから聞かないけど)。コーヒーはヒルトンホテルのラウンジでしか飲まないと言って、わざわざ出掛けていく人だ(当時、一杯千円くらいすると聞いた)。

財布と上着を手に、力強い足取りで玄関を出ていく奥さん。それを見送るアルバイト二人。ああ、また行っちゃったよ。奥さん、頭に血が上っていると勝負の神様が逃げちゃうよ。


奥さんが大声を出す原因は、パチンコだけじゃない。

接待のため、社長は毎日のように歌舞伎町や二丁目に呼び出されていた。

「今晩、財布持って来いよ!」

世話になっている取引先担当者の声が、社長の握る受話器から漏れ聞こえてくる。不自然な量の汗をかいている社長。受話器を持ったまま、まるで目の前に相手がいるかのようにペコペコと頭を下げている。

そんな姿を目にするたび、いつも大変だなぁと初めの頃は思っていたのだけれど、実は社長、夜遊びは嫌いではないようで、そのことでちょくちょく奥さんとケンカした。私たちアルバイトが淡々とパソコンに向かうその背後で、社長行きつけのショーパブの名を叫ぶ奥さんの声が聞こえてくる。おそらくこれから、いや確実に、アルバイトである私たちが聞いてはいけない大音量の言い合いが始まる。もちろんここに書けるような内容ではない。


そんな奥さんなのだが、事務所内の完璧な掃除に見られるように、自分が会社のために出来ることを、いつも精一杯やろうとしている人だった。

「あたし、あなたたちみたいにパソコン覚えたいのよ。この講座なんてさ、どう思う?」

奥さんはよくそんな調子で、どこかのパソコン教室のパンフレットを取り寄せては私に見せた。

「奥さんならすぐに覚えちゃうと思いますよ」

「そうかしらねえ」

ニコニコとページをめくる奥さん。

いつもは現場に行ったきりの社員らが事務所に一堂に集まる会議の日などには、お手製の昼食を皆に振舞ってくれた。

「料理って、今までしたことがないのよね」

?!

奥さんはその言葉の通り、短くない彼女の人生において料理というものをほとんどせずに生きてきた人だった。コーヒーはヒルトンでしか飲まないと豪語する女は、自炊などという言葉とは無縁だった。それなら店屋物でもとってくれればいいのにと思うのだが、奥さんはそんなことはしない。かわいい従業員たちに手料理を振舞いたくなったのである。

キッチンに籠る奥さん。

「できた。ほら、仕事は後でいいから、みんな食べて」

たまに雀卓になるテーブルの上には、出来立ての料理が並んでいる。メニューはシンプル。フリッターのような肉の天ぷら(もしくは、天ぷらのような肉のフリッター)と、具の入っていないお吸い物のようなみそ汁(もしくは、具の入っていないみそ汁のようなお吸い物)、それに白飯というラインナップだ。

「美味しい?どう?どう?」

「とっても美味しいですよ」

実際、美味かった。皿に山盛りの肉天を皆で大いに食べた。一口頬張れば、奥さんの「お腹いっぱい食べさせたい」という気持ちが詰まっているのがわかった。

それから奥さんは、たまに昼ご飯を作ってくれるようになった。メニューはもちろん、肉の天ぷら。余るといつも、タッパーに入れて持たせてくれた。私に、小さな娘がいたからだ。私の知る限り、奥さんの料理のメニューが増えることはなかったけれど、作るたびに少しずつ、肉天は美味しくなっていった気がした。


こんなこともあった。

ある日、会社のインターフォンが鳴った。奥さんがドアを開けると、黒い大きなボストンバッグを持った男の人が立っている。

「突然すみません。実は私、勤めていた会社が急に倒産しまして、最後の給料はもう支払えないからと、現物支給ということでこのラジオをもらったのです。なんとか買ってもらえないでしょうか」

男性はカバンの中から、小さな黒いラジオを一つ取り出した。

おお。今どき、こんな古典的な商売をする人がいるんだ。こんな口上に引っ掛かる人なんているのかいな。

「まあ、急に倒産したの?!それはあなたかわいそうだわぁ。いいわ、あたしがそのカバンに入っているラジオ、全部買ってあげる。いくら?」

…わ、ここにいた。奥さーん、それ全部買っちゃうの?!ほんとに?

「あなたほんとにお気の毒よねえ」

男は自分の商売が無事終わると、軽くなったボストンバッグを抱え逃げ帰るように玄関を出て行った。あんちゃん、今日はラッキーだったね。

「ああ、いいことしたわ。あたし」

その日の帰り道、私のカバンの中に奥さんがくれたラジオが一つ入っていたのは言うまでもない。


私は仕事に慣れてくると、従業員の採用面接を任されるようになった。といってもスーツ姿の学生らを相手にするようなそれではなくて、面接に訪れるのはいつも、私よりずっと人生経験を積まれたオジサマ方だった。現場に出てくれる作業員さんの面接。コツは奥さんから教わった。

「ご自宅はどこですか?あ、住所が無ければそれはそれで…ええ、全然大丈夫です。血圧は?平均くらい?それならコッチで適当に数字書いちゃいますね。いや、高くなければ問題ないんで。明日から、川崎の現場行けます?行ける?よかった。じゃあ、川崎駅の改札に朝5時半に待ち合わせで。会社の者が声を掛けますから、明日は目印にウチの作業着を着て来てください。今日ってハンコ持ってます?なかったら拇印でココに…そう、この書類も明日持ってきてくださいね。足のサイズは?26?わかりました。安全靴は防寒着と一緒に明日現地で渡します。仕事内容の細かな指示は現場で…とにかく、ケガにだけは気を付けてください」

面接が済むと、私はロッカーへ作業着をとりにいく。私たちアルバイトが、背中に会社名をアイロンでプリントした青いツナギの作業着。あの人ならサイズはMでいいかな。

いろいろな事情を抱えた人がいる。余計なことは聞くまい。体を大事に、どうぞ、ウチでいっぱい稼いでいってください。

作業着を渡し、玄関まで見送りながら、私は心の中で毎回こう祈る。「明日、ちゃんと現場に行ってくれますように」。


奥さんは、私の娘のこともかわいがってくれた。当時、近所の保育園に娘を預けていた私は、夕方の迎えのために他のアルバイトスタッフより少し早い時刻に仕事を上がらせてもらっていた。いつもは会社からバスに乗り保育園へ向かうのだが、奥さんは時折、愛車で私を保育園まで送ってくれた。

「あらららら、いい子でしゅねえ」

まるで祖母のような自然さで奥さんは娘を抱き上げる。

「どうもお世話さま」

保育士さんたちに礼を言い保育園の門を出ると、奥さんは娘を私にホイと渡し、さっさと愛車に乗り込むと「じゃあね」と言って帰って行った。ベタベタと恩着せがましくしない。かっこいいなと思った。


何のきっかけか、社長と話していたアルバイトの女の子が急に大きな声を出して社長と言い合いになり、文字通り事務所を飛び出してしまったことがあった。

「すぐに追いかけてやりな。これで団子でも買って二人で公園かどこかで食べといで」

女の子の様子を目の端で眺めていた奥さんが、私に千円を握らせてくれた。私はすぐに事務所を出て階段を駆け下りると、会社の前の歩道に女の子が立ち尽くしていた。私は声を掛け、奥さんに言われたとおりに一緒に和菓子屋へ団子を買いに行った。新宿中央公園のベンチで、二人で散りかけの桜を見上げながら、食べた。女の子は、心の調子がずっと不安定で体調を少し崩している、と言った。気の毒だと思ったが、団子は美味かった。

女の子は事務から現場へ配置換えになり、顔を合わせることはほとんどなくなった。その後、現場で毎日楽しそうに働いているとの噂を聞いた。嬉しかった。


アルバイトたちも個性的だった。アナウンサー志望という女の子は、いつも自分のブロマイド写真を持ち歩いていた。何種類ものキメ顔。何種類ものキメポーズ。はぁすごいなと感心した。今も昔も、私は自分の写真なんてこの世から一枚残らずなくなればいいのにと思っているのに。俳優志望の女性もいた。所属劇団の公演のチケットを買って欲しそうなのだが、私はお金がなくていつも申し訳ないなと思っていた。アルバイトの中には、社長が歌舞伎町のお店からスカウト?してきたという噂の、中国人美女もいた。きれいで気が強くて日本語が上手で、仕事の出来る女性だった。

いつもドタバタと落ち着かない職場だったせいか、せっかく採用されたアルバイトも、少なくない人数がすぐに辞めていってしまっていた。美しい顔をしたアルバイトの女性には、奥さんが意地悪をして追い出してしまうのだと噂する人もいた。なるほど、社長の夜遊び好きや、辞めてゆく女性たちの整った顔立ちを思い出すと、あながち嘘でもないかもしれない。いやちょっとまて。こうして奥さんにかわいがってもらっている自分て…?まあいいや。それ以上、深くは考えないことにした。


退屈しない毎日だった。しんどいことも、迷うことも、嬉しいこともたくさんあった。嫌な思いもした。なんだかよくわかんないけど、今日が無事に過ぎてゆきますように。大げさでなく、こんな祈りにも似た思いから、あの頃のアルバイトの一日は始まった。今なら私も、あの頃より役に立てると思うんだけどな。あ、私、体が動かないんだっけ。


あのとき保育園で抱いてくれた娘は、一児の母になりました。

奥さん、社長、お元気ですか。



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