公文書は「国家の証し」そのものである

福田康夫元内閣総理大臣へのインタビューから。
(文藝春秋 2023年8月号/下記引用はhttps://bunshun.jp/articles/-/64035?page=1より)

〈まず最初に強調しておきたいのは、公文書は「国家の証し」そのものである、ということです。わが日本国がどのように成り立ち、国家の仕組みや制度がどんなふうに出来上がってきたのかを証明する大切な証拠なのです。私は若い頃、アメリカの公文書館が膨大な文書を保管し、きちんと公開していることを目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。民主主義国家の底力を見た思いがしました。そこで、私が官房長官と総理大臣の頃、公文書管理法の制定に道筋をつけたのです。ところが近年、公文書を政治家が「捏造」と決めつけるとか、官僚が改ざんをするといった、とんでもない事件が立て続けに起きた。(中略)これは「権力の行使」に大きな問題があると考えられます。さらには「政治主導」に起因する問題もあります。〉

〈そもそも公文書を改ざんしようという発想自体が言語道断です。なぜ公文書を残すことに懸命になっているかといえば、これが日本国の証しだから。「これこれこうした議論を経て、こんな法体系を積み上げて、今のこの社会ができているんですよ」というプロセスを示すものであり、国際社会に向けて「日本はこうやってきた」と説明するための証拠品なんです。その証拠を改ざんしたり捨てるなんて、とんでもない。〉

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私は国立公文書館をよく訪れます。史料閲覧室の利用が目的です。ここには私が常々知りたいと思っている、太平洋戦争における硫黄島の作戦に関する歴史的公文書や、戦前戦中の広島を知る為の膨大な史料が保存されています。もちろん、それだけではありません。国立公文書館には、「国民の共有財産である公文書の保存と利用を通じて、民主国家の発展と質の高い生活の実現に貢献」するために、「国の機関で作成された膨大な公文書の中から、歴史資料として重要なものが選んで保存」されています。(国立公文書館「パブリック・アーカイブ宣言」より)
実際、私はここで祖父の名が書かれた部隊名簿に出会うことができました。「名もなき」兵の、その名前が手書きで記されていました。当時の物資不足を想像させる、向こうが透けて見えそうなペラペラの紙が綴られた手書きの名簿です。祖父の欄の枠外には、赤色の手書きで戦死したとされる日付と場所が書き込まれていました。ほとんどの人の欄外に、同じような赤い字の書き込みはありました。
この名簿ひとつ閲覧するのに、私は約3ヶ月半待ちました。公文書館の目録から史料の存在を知った私は、閲覧申請を提出しました。茨城県つくば市の公文書館分館に保存された当該資料は、開示にあたり内容的な審査が必要との判断がなされ、さらにその審査のためには史料の修復作業が必要ということになりました。修復作業には1ヶ月程度かかったでしょうか。その後、改めて開示の可否が審査され、無事に私のメールアドレス宛に利用決定通知書が届いたときには、申請からかなりの日数が経っていました。
私は感動しました。何者でもない私の、ただ「知りたい」という希望に応えるための国家的な仕組みが、ルール通りに粛々と行使されたことに。私たちの大切な公文書が、どこまでも正論通りに、丁寧に扱われているという現実に。国民の知る権利が、少なくとも国立公文書館においては、保障されているという事実に。

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ディストピア小説『1984』の主人公が勤務するのは、思想・良心の自由を統制し、歴史を改竄することを仕事とする「真理省」という政府省庁だ。国家の都合で歴史は常に改竄を繰り返され、人は歴史に学ぶ権利を持たない。過去も現在も国家の主張のままにあり、外部を持たない人民は疑念も不満も抱くことはない。国家は常に正しく、万が一矛盾が存在するのであれば歴史の側に誤謬があるのだー
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この恐ろしい小説世界を、私はこれまで国会中継を見ながら何度も思い出しました。権力を私物化した政治家たちの、国会答弁の折々にです。記録を書き換え、なかったことにさせ、公文書の改竄を指示した挙句に虚偽の答弁を部下に強要した、とんでもない間違いが権力者によって犯される度に、です。

私たちの大切な記録が、この国の歩んできた証が、確かに未来へと受け継がれるように。私たちは私たちの歴史を、公文書を守らねばならない。私はこの国に暮らす者として心からそう思うのです。



書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/