Only 78 years ago.
1945年8月6日午前8時15分。原爆投下の瞬間、爆心地から740メートルの距離にあった広島城が爆風によりゆっくりと崩れ落ちてゆくのを見たという人がいる。たった78年前のことだ。
今もまだ、人は殺し合い奪い合い、憎み合うことをやめない。武力で腕力で権力で言葉で他者を傷付け支配する、卑劣な暴力の連鎖は止まない。いつだって、最も脅かされ奪われ追われ苦しまねばならないのは、最も立場の弱い人たちなのだ。
私たちは賢くも強くもない。
私は、問い学び思考し動き続ける。
【原爆ドーム】
原爆ドームは、第2次世界大戦末期に人類史上初めて使用された核兵器により、被爆した建物です。ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続ける原爆ドームは、核兵器の惨禍を伝えるものであり、時代を超えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑です。
【原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)】
建立年月日:1952(昭和27)年8月6日
碑文:「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(雑賀忠義) 本人揮毫
【原爆の子の像】
建立年月日:1958(昭和33)年5月5日(こどもの日)
碑文:「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
【広島大本営】
明治10年(1877)に広島鎮台司令部として建てられた2階建ての木造洋館。のちに第5師団司令部庁舎となり、それが明治27・28年の日清戦争の際、天皇が戦争を指揮する機関=大本営の建物となったが原爆により倒壊し、現在は基礎などの石が残る。
広島大本営跡の碑石
史跡指定が解除され塗りつぶされた文字も
【広島陸軍幼年学校 門柱】
幼少時から幹部将校候補を養成するため広島に設けられた大日本帝国陸軍の全寮制の教育機関(軍学校)。卒業生は陸軍中央幼年学校、のちに陸軍予科士官学校へ進んだ。
Wikipedia
【中国軍管区司令部の防空作戦室跡】
太平洋戦争の末期に設けられた中国軍管区司令部の防空作戦室で、暗号の解析・各部隊への通信などを行っていた場所。この作戦室跡の入口そばに、中国軍管区司令部及び動員学徒の慰霊碑がある。
【広島城 天守閣】
原爆で倒壊した天守は、外観を復元したコンクリート建築として昭和33年(1958)に再建された。
今叫ばずに、いつ叫ぶのか。
時間も距離も超えて。
彼らは、私たちなのだ。
(撮影:2023年10月・ブログ主)
0コメント