私のことについて
大事なことを言います。
少し厳しいとお感じになるかもしれませんが、たぶんとても当たり前のことを言っていると、私自身は思っています。
どうぞ、最後までお読みいただけましたら幸いです。
私に関わることについては、たとえ時間がかかっても、直接私とコミュニケーションをとって、私の言葉を聞いてください。私以外の人が、私に許可なく、私に代わって「私の思いや考え」(らしきもの)を、誰かに伝えてしまうことは絶対にやめてください。これは、家族や親しい友人やヘルパーさんや、あらゆる人たちが例外ではありません。私は、私の言葉が他者によって作られ、書き換えられ、奪われることをまったく望みません。
私がその人に、私の代弁者としてのお墨付きを与えているかのような、そんなフリを装う人がいたとしても、すぐには信用しないでください。もし、そんなことをしている人がいたら、その人が私に代わって話すことを私が承諾しているかどうかを、必ず私に確認してください。そして私がノーと言ったときには、私の「認定代弁者」を装う人に対して、直ちにそのようなふりはやめるように伝えてください。そして、その人の言う事を取り合わないように、周りの人にも伝えてください。繰り返しますが、たとえそれが、家族や親しい友人やヘルパーさんや、そういった私にごく近い人たちであっても、です(彼らは決してそのようなことをする人たちではないと、私は心から信じています)。
年長者や、男性や、社会的立場のある人や、健康な人や、そうした属性の人は特に、誰かや何かを管理したり代表したりしていると当然のように信じ込まれてしまうことが、私たちの世の中にはまだまだ多いようです。例えば私たちの社会に関するちょっとした考察を、車椅子中年女である私が小さな声でようやっと話すよりも、おそらく私よりも年長の社会的立場のある男性が同様の内容を語ってみせる方が、世間的に余程もっともらしく聴かれ、ありがたいものとして違和感なく受け入れられ納得されるでしょう。まだまだ、私たちが生きているのはそんな程度の世の中です。試されているのは私たち一人ひとりであるとも言えるのかも知れません(国会中継や、中年男性ばかりがメインキャスターやコメンテーターを務めるニュースショーを見れば一目瞭然です。あの異様な光景が違和感なく受け入れられてしまう、令和の私たちの世の中なのです)。
私は、私自身を誰にも管理されたくありませんし、自分以外の人間にそのように振る舞われることについては、一切承知しません。私は、自分の意思や言葉を勝手に代弁されることを、まったく望みません。
私ならきっとこんなことを言うはずだ、とか、私は今こんなことを思っているはずだ、とか、そういえば過去にこんなことを言っていたと思う、とか、私の確認を経ない一切の推察やそれに基づく代弁はやめてください。自分の気持ちや思考や意志が好き放題に捏造され、誰かの都合のままに騙られ利用されることがどんなに恐ろしいことか、想像してみてください。私は生きていながら、私という人は生きていないのと同じということになるのです。
まるで自分が見聞きしたかのように、私の体験や思考や言葉を盗み奪うことも私は許しません。私がその行為の主体であることを曖昧にぼやかして、都合の良いときだけ盗み取り自分のもののように利用したり、まるで私と一緒に同じ体験をして、感想や思いを私と共有し合っているかのように第三者に印象付けようとする行為は、私の人格を侵害するものです。特に、身体的、社会的に自由の制限された人たちに対するそのような行為は、到底フェアなものとは言えないでしょう。
私のためだから、とか、私のことを思って、とか、そういう言葉を言い訳にして、自分の意見や主義主張、価値基準を私に押し付けないでください。体を動かすことが自在ではなくても、私は一個の人格であり、一個の主体です。私自身の考えのもとに、私のしたいように生きていきます。私が何を考え、何を信じ、何を求め、何をするのか、しないのかの判断は私自身が行います。あたかも、やさしさや思いやりや善意のような笑顔を周囲に向けながら(もしかしたら、ご自身も気付かないかもしれません)、私の頭に袋を被せ、口を封じることをしないでください。ほんとうのやさしさや配慮を、私は繊細に感じられる人間になりたいと願っていますが、そのことと、やさしさや思いやりの暴力性の問題は、分けて考えねばなりません。私自身への自戒を込めて、自らも慎重でありたいと思っています。
私の声が聞きづらかったら、耳を近づけてください。車椅子女の私は、立位を保持できるあなたよりも低い位置からあなたに向かって声を張り上げねばなりません。肺機能の障害されている私は、声を出し続けると息が切れますし、大きな声を出すことはできません。私は言葉を選ぶのに少し時間がかかるかもしれませんが、少し待っていてください。私は、自分自身の限られた人生の時間と僅かしかない体力を割いて、あなたのための言葉を必死で紡いでいるのです。あなたのためその時間を、あなたにとってのマイナスと捉えないでもらえたら嬉しいです。
私はあなたと、話したいのです。
あなたにとって家族でもない私の長い文章を、ここまでお読みくださったことに感謝します。
今日も、明日も、明後日も、あなたに素敵な日々が訪れますように。
(2024年2月14日現在。適宜更新)
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