私たちは、いのちを食べて生きている。

一年中、安価で多種の魚介類を口にできる日本。
「海の奴隷」と呼ばれる、拉致され船の上に閉じ込められたラオスやミャンマーの人たち。彼らの“奴隷労働”によって乱獲される水産資源を、私たちは口にしている。「海の奴隷」に逃げる場所など無い。彼らは何年にも渡り船に閉じこめられ、労働力でなくなればどこかの遠い海に投げ込まれるだけだ。あの船にいたのは、誰かの息子であり父であり兄弟であり、あなたの消費行動のために違法の魚介類を獲らされた「海の奴隷」たちである。

私たちは毎日、いのちを食べて生きている。
それらがどのような時間の中で育ち(育てられ)、どのように獲られ、競られ、運ばれ、選ばれ、買われ、今ここにあるのかを考える。
朝靄にノッシと土を踏み今日を生きよと首をもたげる四つ脚の、三日月の尾鰭を操り大海を遊ぶ巨きな流線型の、私たちはそのいのちを食べている。

「経済を回す」のだと、他に選択肢は無いのだと、自ら考え出した訳でもない誰かの結論めいたもの(プロパガンダ)に主体性と良心を丸ごと差し出して、いのちの現場から目を逸らしてきた私たちの思考停止の日々。
私たちにも、明日から変えられる未来はあるはずだ。

書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/