書くこと。生きること。
筋委縮性側索硬化症(ALS)という病気をご存じだろうか。徐々に全身の筋肉が動かなくなり数年で呼吸機能も停止して死に至るという難病である。
治療法の未だ見つからないこの病気に、現在私は罹患している。ALSの確定診断を受けるまでの数年間検査入院を繰り返していた病院のベッドの上で、私は大学への編入を決め、少しずつ文章を書き始めた。
病気が進行し、私は現在車椅子ユーザーである。四十代で難病患者となり障害者となって、私の目の前の世界はその姿をガラッと変えた。自分一人だけが、分厚いガラスで囲まれた世界の外側にいるような感覚。街の中を一人車椅子で歩くだけで振り返られ、思いや考えを必死に言葉にしても、カワイソウな人の嘆きとしか伝わらない日々。社会のルールも常識も私を救うものはなく、すべての出来事が底の割れた茶番のように見える。あらゆる言葉は皮相的で本当のことだけは決して語られず、単に当たり障りがないだけの生暖かな空気を吹きかけられているようだ。後に大学の哲学の授業で「哲学は戦慄から始まる」という言葉を知ったが、病気になってからの私は、それまでのあらゆる「当たり前」が信じられなくなる“戦慄”と向き合う日々であった。
そんな時間の中で、私は考えるようになった。私の生きているこの世界の、何か一つくらい本当のことを知ってから死にたい。せめて残されたあと少しの時間を、よく生きたい。そのためにはどうしたらよいのか。私は書くこと、学ぶことに希望を繋ごうとした。
今の私にとって、書くことは生きることそのものであるし、書いたものは私の生きてきた証でもある。書くために学び、書くことでしか、現実に目を背け狂気に逃げ込もうとする自分を止めることはできない。
私は確かに生きている。私の幸せな時間は書くことと共にある。
2020/8/25
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