NO MUSIC, ...
たまには、大好きな音楽の話を(古い話です)。
1987年7月4日@日比谷野外音楽堂。
のちに"伝説"となったTHE BLUE HEARTSのLIVE。確かステージに向かってやや左寄りの真ん中あたりに、ラバーソールを履いた私はいます。
遡って同じ年の4月に同会場で開催されたLAUGHIN' NOSEのLIVE。私はこの日も野音にいたのですが、ステージ前方へ押し寄せた観客のうち3人の方が圧迫されてお亡くなりになり、開始早々にLIVEは中断しました。事態を把握できずざわつく客。ステージから事態を報告するチャーミー(vo.)の「(運ばれた)女の子は息が止まってるんや」の言葉に、私は凍りつきました。
そのLIVEを受けてわずか3か月後のBLUE HEARTS。野音の客席には大勢の警備員さんが配置され所々に見慣れない鉄柵が。物々しい雰囲気に戸惑う客席。でもLIVEが始まって、そんな不安はパコーンと空高く蹴っ飛ばされたのでした。
「今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻は人の心までも縛れんようじゃな。ざまあみろ!」―そして「リンダリンダ」。あぁヒロト。
ラストの「ダンスナンバー」で、本気で脳みそ弾け飛ぶかと思ったのを覚えている。
https://youtu.be/yfjphvOG2iQ
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1988年8月3日@富士急ハイランド。
ゼリー(忌野清志郎似)率いる「THE TIMERS」が初めて人前で演奏したのはこの野外フェスでした。そう私、このゲリラ的ステージを目撃しています。
ヘルメット、サングラス、土方姿の全共闘学生運動風?の輩が登場。覆面バンド登場に「誰?」って会場がざわつく中、歌いだした瞬間に「ああああああ・・・清志郎ぉぉぉ!!!」。なけなしのバイト代はたいて富士山の麓まで在来線乗り継いだ甲斐がありましたよ、ええ。
当時女子高生の私は、広瀬隆の『危険な話』を読んでは毎夜布団の中で恐怖にガタガタと震え、『COVERS』を発売中止にした東芝EMIに腹を立て(「サザエさん」を観ない、というささやかな抗議運動くらいしかできませんでしたが)、「サマータイム・ブルース」で日本に原発が「37個も」建っているのだと知りました。
そして2011年3月。メルトダウンなんて悪夢のような事態が日本で起きてしまったことに、あれから54基にまで原発を増やしてしまったことに、そしてもういい大人になっていた私は自分の無能さに愕然とし、娘と息子に「日本をこんな風にしてごめんなさい」と詫びました。
https://youtu.be/RHoNhQMj08Y
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そして最後に、真心の「拝啓、ジョンレノン」~「木綿のハンカチーフ」~「ドカドカうるさいR&Rバンド(YO-KING ver.)」で、おやすみなさい。
ヨーチの声はしみじみ宝だと思う。好きすぎる。
【拝啓、ジョンレノン(真心ブラザーズ)】
https://youtu.be/QxRKZ-1wwZM
【木綿のハンカチーフ(THE真心ブラザーズ)】
https://youtu.be/uBGFd7g5BBg
【ドカドカうるさいR&Rバンド(YO-KING ver.)】
https://youtu.be/Wls9q9ToeiA
2020/7/1
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