ごめん、うるさいんだけど。


ごめん、うるさいんだけど。「部屋にこもっていないで、外に出た方がいい」って、もう言わないで。


私は自分の部屋が大好きだ。快適で、安全で、私の求めるものは殆ど手の届くところにある。いちいち行く手を阻む段差もなければ、ジロジロと車椅子女を眺める不躾な輩もいない。何台見送っても満員で乗れないエレベーターに、手の届かない商品の棚に、「ここはお前なぞのいる場所ではないのだ」という声なき声に小突き回されながら「ああもう早く家に帰りたい」と悲しい気持ちが思わず溢れこぼれてしまわないように一生懸命に顔を上げて耐え忍んでいなきゃならない、強烈な疎外感との闘いの場。私にとって「外」って、そんな場所なんだ。

私がこもっていたい部屋=「内」にいれば、一人だけれど孤独を感じる瞬間なんてこれっぽちもない。私を不必要に悲しくさせるものなんて、ここには何一つないんだ。「外」は「内」に対して「外」でしかないのに、「よい場所」だからそこに出て行けと私に押し付けてくるあなた達は、いったい私にとって「外」がどういう場所なのか、わかっているのか。あなた達にとって「外」は魅力に溢れた訪れるべき「よい場所」なのかもしれないけれど、私にまで「出た方がいい」って押し付けないでくれる?

それにあなた達は私に「外の空気を吸え」だの「気分転換した方がいい」だのとしきりに勧めるけれど、難病で障害があるあなたの友人は、居心地のよい部屋の中で、いつだって気分上々だ。そもそも「転換せよ」と勧める私の「気分」の現状を、あなた達はどれくらい本気で気に掛け、把握しようとしているのか?


社交性も協調性も積極性も、単なる気質だ。大いにある人もいればあまりない人もいる。それだけの話なのに、手放しで「あるべき素晴らしいもの」なのだと、人に求め過ぎてはいないか。まるでそれらをあまり持たない人なんかは、劣っている気の毒な人扱いだ。自己肯定感やリーダーシップ、コミュニケーション力とやらも、そう。「あったほうがいい」ってやたらと言い過ぎ。こぞって求め合って自慢し合って、はっきり言って気色悪い。世の中そんなものに満ち満ちている人だらけだったら鬱陶しいと思うのだけれど。

男の子はピンクより青色が好きなはずだし、女の子は料理くらいできた方がいい。障害者はカワイソウな人達だから支えなければならないし、病人は須らく不幸で不安で肩を落としてるものだから元気づけてやった方がいい。人の世話にはならない方がよく、家族や近所に迷惑かけるなんてもっての外。親には常に感謝すべきで、友達は 100 人いた方がいい。子どもは無邪気で、女は母性に溢れ、男は泣き言なんて言うべきでない。おばさん達は難しいことを考えるのが苦手で韓国ドラマに夢中だし、若い女はワーキャーで社会問題なんかに興味はない。思いやりも善意も絶対に否定されるべきではないし、施しにはいつだって平身低頭感謝感激すべきだ。政治に本気で不服を唱えるのは大人気ないことで、失業も貧困も自己責任。繋がった方がよく、広まった方がよく、バズった方がいい。―


もう、あなた達の訳わかんない規範、私に押し付けないでもらえるかな。

うるさいんだけど。


書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/