あるALS患者の記録①【2012-2015】


筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患して、身体の状況や病気をめぐるここまでの個人的記録をまとめた。

全体で1万字を超える長い記述になるが、自分でもあまり意識しないような些細なことが後の人たちにとって大事であることも有り得ると考え、思い出せる範囲で書き残した。


私自身がこれまでの時間を忘れずにいるための個人的記録であると同時に、私と同じように病気と闘っている仲間たちにとって少しでも役に立つものになれば、幸いである。



【2012、3年頃】


夜寝ていると、突然足に激痛。自分の足なのに、自分の意に反して不自然な方向に勝手に動き始め、筋肉も強く引きつって泣きたくなるほどの痛み。勝手に動き続ける足を両手でめいっぱいの力で押さえつけても、足は変な向きに勝手に動き続け、筋肉の引きつりも止まない。これは毎晩のこととなり、激しい痛みを伴うため寝るのがとにかく怖い。深い睡眠状態と完全に覚醒している状態との中間くらいの、まどろんでいるくらいの時に起きることが多い。かがみこんで足をさすり痛みをこらえているとしばらくして完全に目が覚め、そうなると嘘のように足の動きも引きつりも止まり、痛みもなくなる。

整形外科に掛かり、医師たちに「足が勝手に動くのですが」と相談しても「何を言っているのか意味が分からない」と言ってまったく取り合ってもらえず、私は足ではなく頭の中身の方を心配されるだけだった。


この頃から特に、寝言が激しくなる。夜寝ていると突然はっきりと話し始めたり、眠りながら怒鳴って布団の横の壁を叩いたり、大声で家族を呼びつけたり、自分自身の頭などを叩くこともあった。眠りながら自分で実際に声を出してしまっていることが認識されるときもあるが、まったく記憶の無いときもある。こうしたことが起きるときには同時に夢をみているようなのだが、覚えている限り、決まって悪夢ばかりである。


この頃、このほかに病気に関連していると考えられそうな症状は記憶にない。



【2014年】


夏。何度目かの富士山に登る。私は登山が趣味で、週末に日帰りで近郊の山々を歩いたり、海外の山にも登ったりしていた。この年の富士山の下山時、いつもなら駆けるように下りていた、慣れたはずの道で、私は突然全身の力が抜け、転倒し、そのまま歩くどころか立ち上がることすらできなくなってしまった。いったい自分に何が起きたのかと混乱しながらも、とにかく下山しなければと山肌に寄りかかるようにしてなんとか立ち上がり、重いリュックを背負い直して、前かがみに何歩か歩いてはまた転んで、またヨロヨロと立ち上がり、また転ぶことを繰り返した。標高3000メートルを超える山道で私は全身の力を失って、本当にこのときばかりは焦りに焦った。


下山後、整形外科やらマッサージやらいろいろ行ってはみたけれど、日常生活を送っている限りあの日のように脱力するようなことはもう無くなっていて、通院もやめてしまった。そして、あの時の焦りや不安を思い出したくなかったためだろう、毎月のように通っていた近場の山へも何となく足が遠のいてしまい、他のことでも週末は忙しくなってそのまま有耶無耶にしてしまった。


おそらくこの年の秋頃。もう何度も登っているはずの、日帰りで十分に往復できる程度のそれほど高くない山に久し振りに登るが、何でもない楽しいだけなはずの広い尾根道が怖い。何とも表現しづらいのだが、とにかく上手く歩けない。特に下山が怖く、全身がグラついてバランスがとれない。いったい自分に何が起きているのかと、漠然とした気持ち悪さと不安が残る。あんなに楽しかった山歩きだが、あの時は、もう二度と山には来たくないと思ったのを覚えている。



【2015年】


日常生活の中でも徐々に足の動きへの違和感が大きくなり、自分自身を誤魔化しきれなくなっていく。街をゆっくり歩いているだけで、繰り返し足首を捻ってしまう。歩道は端に向けてほんの少し斜めに下がっているが、そんな些細な傾斜で頻繁に転んでしまうようになり、何枚もストッキングを破いた。


パンプスはどんなものを履いても、歩き始めるとすぐに脱げてしまう。表現するのが難しいのだが、パンプスの靴底から足が左右にずり落ちてしまうのだ。酷い時にはパンプスが足から外れ、スポーンと前方へ飛ばしてしまったりするので、バックルの付いたものに替えてみたりもした。何足買い替えたか分からないほどだが、それでも容赦なく転び続け、最後には諦めてスニーカーを履くようにした。歩行時のバランスをとるために、それまで使っていたショルダーバッグも、リュックに替えた。


何人かで一緒に歩いていると、すぐに私だけがみんなから遅れてしまう。漕いでも漕いでも前に進まないボートのように、必死で歩いても何故だかみんなに追いつけない。いつの間にか私は、街を歩いている誰よりも、幼児よりも老人よりも、遅いスピードでしか歩けなくなってしまった。私は自分自身に何が起きているか不安だったが、思い切って周囲に話してみてもあまり真剣には受け止めてもらえず、自分の不安が確かなものかすらよくわからなくなっていた。私は、整形外科や接骨院などをたまに訪れてみる程度のことしかできなかった。そしてどこへ行っても、なるほどと納得のいくような診断は出ず、私の症状は一向に改善されないまま、忙しさで自分の中の不安を押さえつけ誤魔化し続けながら、モヤモヤとした毎日を送っていた。



ー「あるALS患者の記録②【2016】」へ続く



書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

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