本屋にて
「沖縄復帰って何のことですか?」
若い知人と一緒に、ふらりと立ち寄った書店。【沖縄復帰50年特集】のバナーが掲げられた棚の前で、私は知人から想定外の質問を受けてしまった。
ーー学校で学ばなかったの?ニュースも新聞も見ないの?
思わず口にしそうになった言葉を飲み込んで、私は目の前の棚に並ぶ背表紙からいくつかキーワードを拾い、手短に説明した。
「なんか学校の授業みたい。」
屈託のない知人の笑顔。私は曖昧に微笑み返すことしか出来なかった。
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帰宅して書店での会話を思い返していたら、以前読んだ本のことが頭に浮かび、怖くなった。ディストピア小説の古典だ。
「無知は力なり」をスローガンに掲げ、市民生活の一切、思想も言論も感情さえも監視・統制する超全体主義的近未来。【真理省記録局】に勤める主人公の仕事は、体制にとって都合の悪い歴史を改竄し、「無かったこと」にすることだ。「証拠」なんてどこにも無い。すべては気のせい、思い込みだろう?歴史なんてどうにでも書き換えられるのだ。
あるいはこんな小説。【ファイアマン】が主人公の世界。消火するのではない。燃やすのだ。すべての本は有害だ。善良な市民の心を混乱させ社会秩序を脅かす。読書をした者は逮捕され、隠し持つ本は家ごと焼かれる。市民同士の監視と密告。何も記録するな。何も考えるなー。
私たちの暮らす街から書店が消え、本との出会いも減ってゆく。棚に並ぶ背表紙の文字をたどりながら、世界の広さに圧倒され知らないことの多さに身震いする、ささやかな日常の場が失われてゆく。
見えないアルゴリズムに絡めとられて、趣味嗜好、意見や主張を同じくする者たちで構成する小さな島宇宙を世界のすべてだと信じて疑わない、バラバラになった私たちの社会。もしかしたらもう、手遅れなのかもしれない。
自分に出来ることはほとんど無いのだと理解しながら、私はこうして書いている。私は嫌だという、意思表示として。抵抗のための、一粒の砂として。
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