午後の散歩
いつもの本屋へ行く。
店に入り真っ先に、レジから少し離れた商品棚へと向かう。そこへ立ち寄るのは、外出が簡単ではない身体を持つ私の日常の、ささやかで大きな楽しみとなっている。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まった頃からだろうか。それとも、もう少し以前からのことか。その商品棚の品揃えが、徐々にだが明らかに変わってきた。
棚のスペースを新たに侵食し始めたのは、効率よく手っ取り早く見映えよく、一刀両断でスキャンダラスでインスタントで一目瞭然な、目にチカチカする太文字の背表紙たちだ。倍速で映画を観ながら、5分の動画で歴史の嘘を語り、顔を修正し口を開け憑かれたように踊る自らの姿を全世界に配信する流行のスタイルを思い出し、気分が悪くなる。
以前はよく、この場所で出会える「わからなさ」に心躍った。触れたくて近づきたくて、思い切って少しずつそれらを買い求めてきた。自室のベッドサイドに並ぶそれらのタイトルを眺めるたび、今も、読み終えたときの走り切ったように爽快な気分を思い出す。そしてそれ以上に、息を切らす私がたった今辿り着いたこの道が、視線の先、霞むほど遥か遠くへと伸びているのを感じている。
時代の空気にねじ伏せられないように。私は立ち止まって考えることを止めず、「わからなさ」を喜び、それに耐えてゆこう。
雑誌を一冊買って、店を出た。
地面の照り返しが眩しい、車椅子の午後の散歩道にて。
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