花風

「ちょっと見つかった物があるから、行くね」
短いショートメールから数日、いい香りのするイチゴを手土産に父が訪ねてきた。

「しかし、今日は風が強いねぇ」
背負っていたリュックを肩から下ろし、父が中からクリアファイルを取り出した。靴紐のようなもので綴じてある、薄い書類の束が挟まっている。
【家譜一巻】
表紙の草書は、曽祖父のものだ。
「おじいさんがね、書いた物が見つかったんだよ。お前に一部、コピーしてきた」
中を開けると見事な筆で、祖先からの家譜が物語のように記されている。宝暦?いつだろう。
「最初を見るとね、うちの出は能登なんだよ。そこから名古屋に行ったらしい。そして牛込だな。新宿に来たんだよ」
能登。地図でしか知らない場所だ。特徴的な形のあの半島の、祖先らはどの辺りに暮らしていたのだろう。
一頁、また一頁と説明しながら父がコピーをめくる。いくらご先祖様でも、会ったことのない人たちの話は気を抜けばすぐにどこかへ見失ってしまいそうで、然らばと曽祖父の筆書きを頼ろうとするけれど、こちらはこちらで達筆が過ぎて結局内容の7割ほどを理解するのがやっとであった。

祖父の名が書いてある。
【長男 昭和十九年日米戰にて戰死す】
日米戰。そうか。
大叔父の名前があった。
【三男 昭和二十年 徳山市陸軍病院櫛ヶ浜病院に於いて死去す戦病死ト】
二人の息子の若い死をしたためた曽祖父の筆の字の、太く強いのを確かめる。
「最後の頁を見てごらん」
父に促され、半分を余白に残した最後の段に目をやる。
【昭和二十年五月廾五日の夜米鬼の災にあい家に直だんを受けて丸焼けとなり】
新宿に大きな空襲のあった日。牛込の家も無事ではなかった。「米鬼」。二つの文字に込められた曽祖父の無念。
息子たちを、家を戦火に奪われた曽祖父は、ある日突然に大切なものの何もかもが失われてしまうこの世界の儚さに、不条理に戦慄を覚えたに違いない。自らが記録しておかねば何もかもが無いことになってしまうかも知れないという脆く非情なる現実に打ち当たり、曽祖父は筆を取らずにはいられなかったのだろう。

表紙に【一巻】と書かれたこの家譜は、二巻へと続く未来を当たり前に装いながら、他県への縁故疎開を【閑居】と表現した一文で最後の頁を終えている。
ひいお爺さん。あなたの達筆を読むこともままならない情けない曾孫は、きっとあなたによく似た動機から、三代を経て、令和にこうしてあなたのことを書いてます。あなたのかなしみは二度と繰り返させないという、決意と共に。

書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/