二匹目のパンダの話

 「あなたは私にとって、○人目のALSの人です」。

 私は知人たちの口から、こういう内容の発言を何度も聞いてきました。そしてそのたびに思うのです。-「で?」と。「それ、どんな顔をして聞いたらいいのですか?」と。

 この言葉の前に、この言葉を発する人の前で、私はサトウヒロミではなく一人のALS患者なのだと思います。この言葉を発する人は、一人の人間としてのサトウヒロミに向き合っているのではなく、一人のALS患者を眺めながら、珍しい難病患者を前にした自分を、しみじみと感じているのだと想像します。その発言の前に、病に侵された知人である「私」は存在しません。そしてきっと、「希少で珍しい存在のALS患者に遭遇してしまった特別な自分」を表明したくて、わざわざ当事者に向かってこのような発言をするのだと想像します。

 そして私は、このパターンの発言を耳にするたびに思うのです。

「『私が本物のパンダを見るのはこれで二回目です』という発言と何が違うのか」と。珍しい体験をした自らを表明されて、パンダ(=ALS当事者)である私はどう反応したらいいのか。

(「あなたのようなALS患者は私にとっては珍しくないよ」と言われたこともありますが、いずれにしても「私」という一人の人格に向き合ったものではないという点において同様に感じ、ショックを受けた記憶があります)。

 これまで私は、こうした発言の前にとまどい、言葉を失い、曖昧な笑顔を続けてきました。きっと、不用意ではあるけれど、悪気の無い、無邪気な驚きや感嘆を口にしただけなのだと。でも、そのはしゃいだ発言の中にいる「ALS患者」の一人ひとりにも、それぞれの生きてきた長い時間がある。大事にしたい人や壮絶な葛藤や捨てきれない思いがあります。

 私の目の前に、数か月も、もう一年以上も、パンダとしての違和感はドッシリと置かれたままゴロゴロと横たわっています。そしてなかなか消えてくれないそれらを横目にしながら、たくさんの事を考えてきました。これは私しか眺め得ない景色かもしれないと。

 私には何が見えているのか。ここから何が得られるのか。パンダの視点から丁寧に見つめていきたいと思います。

2019/12/17


書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

書くこと。学び、考えること。難病ALSに罹患し、世界や自分のあり様を疑う戦慄の時間。生きた証として書いていきます。 satohiromi.amebaownd.com/