前ってどっちだ??
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唯一、しんどいことがあるとすれば、「〝おうち時間〟を有意義に!」という風潮だろうか。
勿論、素晴らしいこと。
その方が良いのだろう。
ただ、「こんなときこそ楽しもう!」などと屈託なく(かは知らぬが)言われると、
「では、どんなときなら落ち込んでも良いのか!?」
と問い質してみたくもなる。
大体、〝こそ〟1つに、この厳しい現状を一蹴し、ひっくり返せるほどの力が、いつから与えられたのか。
もはや、〝こそ〟の濫用。
後頭部に銃を突き付けられ、
「前を向け!」
と命令されているような気持ちになるのだ。
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髭男爵・山田ルイ53世の文章から。
この方の書くものは以前から好きで上のくだりも何となく読んでいたのですが、「あぁ、まさにそうそう」としっくり頷いたのでした。
私は数年前に難病を発症してから、「果たして自分はいつまで生きるのか、こんなしょーもない人生でよかったのか、残り僅かの時間で何が出来るのか、人が生きるって何なんだろう」等々と、それまで考えたことの無かった、答えの出ない問いで頭がいっぱいの毎日です。発症した当初、そんな自分に周囲の方々がよく掛けてくださった言葉が、「でもさ、前向きにいこうよ!」といったようなものでした。私は友情からの、”思いやり”に基づく言葉と分かりながら心の中でものすごく苛立ち、「絶望する自由くらいくれよ!!!」っていつも思っていました。苦しむ自由、悩む自由、「死にたくない」と叫ぶ自由。そんな自由さえも奪われて、「いつもポジティブに。笑顔を忘れず」って…無理。
それは本音のところ「苦しい顔を見るのは何となく嫌だし、面倒くさいこと言われてもどうしていいかわからないから、とにかく笑ってて」って、そういうことじゃないのかな。もしかしたら、その一見私的な悩みは個人の領域で収まるものではなく、周囲や社会に繋がるものかもしれない。そんなメンドクサイこと聞かされても、考えたくないし、聞いている私にまで何かが及んじゃうとしたら鬱陶しい。だから、「とにかく笑ってて」。とりあえず何もないことにして。そう言われているような気がしていました。
怯え、震えて、頭を抱えて、立ち止まって、その先に新しい何かを見つけるかもしれない。そういう時に、人は大事なことを考えるのだと思います。苦しい中でなんとか考え、やっと辿り着いた自分にとって大事なことさえも「要するに不安なんだね」とよくわからない言葉で結論付けられ、「いいからもっと前を向け」という。そもそも、前ってどっちだ??
私は前向きでもなんでもない。「みんな、明日があると信じられていいなぁ」なんて思いながら日々を生きる凡庸な人間です。山田ルイ53世の文章に背中を押されて、こんなことも、たまには堂々と言ってみようと思ったのでした。
2020/5/25
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