わたしが一番きれいだったとき
30年ほど前、古びた薄暗いコインランドリーでの出来事。
誰かが置いていってくれた、ふやけてヨレヨレになった週刊少年ジャンプを読みながら、私はガタつく椅子に座って洗濯が終わるのを待っていた。
そこへ、少し痩せ気味の、白いものの混じった髪を後ろで上品にまとめた女性が入ってきた。
女性は私のそばに座り、自分の洗濯物が乾燥されるのをしばらく眺めていたかと思うと、突然、静かに私に話しかけてきた。
「あなた、おいくつ?」
私が「19です」と答えると、女性は少し間を置いて、ゆっくりとこう続けた。
「私があなたくらいの時はね、戦争だったのよ」
突然戦争の話を始められ、19歳の私は面食らって相手の顔を見つめた。
「本当はね、私だって素敵なお洋服も着たかったし、お化粧もしたかった。でもできなかったの。戦争だったからね」
私は覚束ない知識を総動員して、かの戦時下の若い女性にとっての日常がどのようなものであったかを想像しながら、一方で何故この女性が初対面の私にこんな話を始めたのかと、グルグルと考えていた。
「一番いいときでしょう、19って。あなたはいろいろなお洋服を着られていいわね。でも私の頃はずっと、戦争だったの」
二度と取り戻せない青春の時間を戦争の惨禍の中で過ごした女性。その少ない言葉から静かに立ちのぼる、女性のやりきれないような思いを、私は一生懸命想像しようとしていた。自分の手で勝ち取ったわけでもない平和を当然のものとして享受しながら生きていた19歳の私は、段々といたたまれないような申し訳ないような気持ちに耐えきれなくなって、女性に質問した。
「私はいったい、どうしたらいいのですか? どう生きたらいいのですか? 私にできることはあるのでしょうか?」
このとき私はきっと、すがるような眼をしていたに違いない。女性は私の質問に、迷いのないしっかりした口調で答えた。
「めいっぱい、生きたらいいのですよ」
-30年経った今も、心の底に静かにある記憶。
私はめいっぱい、生きているだろうか。
2020/8/15
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